問い

真宗の信者のことを「門徒」と言いますが、どういう意味ですか、また真宗門徒とは、どういう生き方をするのですか。

答え

 門徒とは、「一門の徒輩(いちもんのとはい)」という意味で、同じ宗門の仲間という意味で広く使われてきました。親鸞聖人ご自身、「真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩」とか、「源空、光明はなたしめ、門徒につねに見せしめき」と言われ、法然上人の教えを聞く同行(どうぎょう)を「門徒」と呼ばれています。

 今日では特に真宗の一般の信者を門徒というようになりましたが、元はといえば一宗門の徒という意味です。それが門徒といえば、浄土真宗の信者だと限定されたのは蓮如上人のころかと思われます。蓮如上人によって真宗が再興され、まれにみる大教団となり「門徒」といえば真宗門徒であり、「本願寺門徒」と一般に言われ定着したようです。

 それ以来門徒といえば浄土真宗の信者であり、真宗寺院は「門徒のお寺」といわれるようになってきました。ですから「門徒」といえば、「本願を信じ念仏申す」、そして浄土往生を願いつつ生きる、そのような生活をする人々を指し示しているといっていいでしょう。さらに言えば、浄土真宗を明らかにしてくださった親鸞聖人の教えを依り処として生きる人々が門徒といわれる人です。

 聖人は多くの人々を教え導かれましたが、「親鸞は弟子一人も持たず」と仰せられます。みんな如来の教法を聞き、如来の教法に生きる「御同朋(おんどうぼう)、御同行(おんどうぎょう)」だと言われ敬い尊んでいかれました。そういう意味では、一般に言われるいわゆる「門下生」という意味とも異なるようです。

 真宗門徒は、生涯をかけて聞法に勤める人であります。親鸞聖人が、生涯もっぱら法然上人の教えを聞き、法然上人滅後はその上人の教えをかみしめかみしめ、一生をかけて生活の上に証していかれました。私たちも聖人の生き様を鏡として、生涯聞法に励むべきでありましょう。それも身近な縁ある人々と共にお念仏の生活を送ることが大切であります。そこにおのずから人間らしい生き方がにじみ出し、喜怒哀楽の人生に、掛け替えのない意味が見出されることと思います。

 また「門徒もの知らず」と言われることもありますが、これも「門徒もの忌み知らず」という意味でもあり、日の吉兆や、方角の善し悪し、占い等にこだわる必要のない、明るいどうどうとした生き方をするのを他宗の人が見て「もの知らず」だと言ったもので、むしろ誇りとして、本願念仏の無碍(むげ)の一道に生きるべきでありましょう。

(本多惠/教化センター通信 No75)

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Last modified : 2015/03/02 18:12 by 第0組・澤田見(ホームページ部)