問い

亡き人の毎月の命日に、お寺さんを招いて勤める「月忌まいり」は必要でしょうか。

答え

 「月忌まいり」とは、亡くなられた人の毎月の命日にお寺の住職を招いて家庭のお内仏におまいりをすることを言います。「逮夜まいり」とも言いますが、逮夜(たいや)とは命日の前日を言います。いずれにしても、亡き人のご命日に因(ちな)んで、亡き人を偲(しの)びつつ「お経」をいただくことです。

 ついでに申しますと、年に一度の「祥月命日(しょうつきめいにち)」というのがありますが、これは亡くなられた人の月と日が同じ日を言います。

 「年忌法要」は、一周忌・三回忌・七回忌・・・・・・と年回に当たる年に日を決めて、親族・友人・知人を招いて故人を偲びつつ「お経」をいただき、真実の教えに耳を傾ける法縁の機会を持つことです。

 毎月のおまいりは「逮夜まいり」と呼ばれることが多いようですが、「逮夜」とは中国の善導大師の『往生礼賛』(六時礼賛)に、浄土教における毎日の勤行の形式を教えられた中に、昼夜六回、時を定めて礼拝讃嘆することを定められ、そのいちばん初めのお勤めが日没勤行すなわち「逮夜」と言われたことに由来します。これらのお勤めは、我われが浄土に往生することを願い、さらに未だ法縁に遇うことなく過ごす人々に、浄土往生の願いを起こしてほしいという念願でなされます。

 したがって「逮夜まいり」は、亡き人の命日の前日にとりのこして、ご命日を機縁に住職さんを招いてお勤めをし、私自身が真実の教えに耳を傾け、お浄土に向かう確かな人生の歩みを確かめると共に、家族の人々に共々に真実の教えに遇っていただく法縁の機会を持つことです。それが、また亡き人の願いであります。「私の死をむだにせず、せめて月に一度はお内仏の前に座し、『お経』をいただき、仏の教えに耳を傾け、真実の人生に目覚めていってほしい」ということが、死をかけた亡き人の命がけの願いでありましょう。

 亡き人のために「お経」をあげてもらうというのではなく、亡き人から願われ、押し出されて私自身が「教え」に遇わせていただくのであります。だから、毎月のお勤めは、我われが亡き人からいただく尊い法縁であり、そのご恩に報いる報恩感謝の営みでもあるわけです。

 お互いに忙しい日々の中に、月に一度は家族がそろっておまいりをし、教えの前に自分を見つめると共に、話し合いの場を持ちたいものであります。

(本多惠/教化センター通信 No.92)

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Last modified : 2015/03/02 18:16 by 第0組・澤田見(ホームページ部)