問い

人間、修行をすれば神通力や超能力、霊感能力が開発されるのでしょうか。

答え

 人はだれしも向上心を持ち、人なみ以上に優れた人間になりたいと思っています、だから霊能者や神通力を持っているといわれる人、または超能力が与えられるというようなことに憧れるのです。

しかし人間はしょせん人間であって、人間以上には成れません。でも、人間は心身を鍛えることによって、かなり高度な能力を開発することはできます。運動能力や曲芸師、さらには人間国宝にまで指定される人などは、まさに神技といわれるほどの能力を開発されています。これなどは、常任から見れば神通力か超能力を身につけたように思われることがあっても、これは決して特別なものではなく、精進によって人間の潜在能力を最大限に発揮したものであって、人間を超えた神秘的なものではないでしょう。

今の世の中には多くの宗教があって、種々雑多な手段で救いの手をさしのべ人々を惑わしています。「この宗教に入信すれば神通力・超能力が身につきます」との誘いに乗って、家族や仕事、財産どころか命まで失った人々もあります。これらの宗教に惑わされるのはどこに問題があるのでしょうか。

それは、神通力や超能力を身につけたいという欲望に問題があります。超能力によって人の真似のできないことがしたいという優越感を満たそうとする欲心です。

宗教によって被害を受けたのではなく、自分の内にある欲心によって被害を受けたのです。そういう意味で、何ものかが私を惑わすのではなく、私の心が何者かを縁として惑うのです。苦しみや惑いの原因は、私の内にある欲心なのです。

仏教でも「神通力」ということが説かれます。親鸞聖人も「正信偈」で、「煩悩の林に遊びて神通を現ず」とお念仏の功徳を讃えられていますが、一般に言われている神通力とはまったく意味が違います。一般に言われる神通力・超能力とは、人間の思いの延長上、つまり理想的なあり方を言うようですが、仏教で教えられる神通力は、あくまで「仏力」を言うのであって、人間の計いを超えてしかも人間を真に人間たらしめる不可思議力を言うのです。大切なことは、神通力や超能力・霊感力などに憧れず、惑わされず、仏の本願に目覚めてありのままの自分を堂々と生きる自分に成ることではないでしょうか。

(本多惠/教化センター通信no.98)

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Last modified : 2017/02/28 20:24 by 第0組・澤田見(ホームページ部)