問い

真宗では、靖国神社の国家護持に反対しておられますが、「王法をもって本とせよ」という蓮如上人の教えと矛盾するのではありませんか。

答え

 蓮如上人は「王法をもって本とせよ」と言われる時は必ず「内心には仏法を深くたくわえよ」と教えられます。要は、仏法を大切にし、仏法をさまたげるような社会生活を無視した行動を取らないようにと教えられるのです。仏法に背いてまで王法を大切にせよとはおっしゃっていません。

「靖国神社法案」は王法に類するものではあるでしょうが、はっきり言って仏法の精神に反するものだと言わざるをえません。ご存じのように靖国神社は、戦争で戦場において戦死された我が国の戦没者を「英霊」として祀っている神社であります。それは設立の当初から国家に忠誠を尽くすものを祀ることによって国家主義を宣揚する精神施設として培われ、さきの戦争では戦没者を「英霊・神」として祀ることを代償に「国のために死ぬ」ことを賛美し、強要する政治施設として正に国家神道そのものとして機能してきました。

 戦争はあってはならないことですが、人間の過ちによって繰り返されてまいりました。その戦争によって多くの人々が尊い生命を奪われました。その中には戦場で亡くなった人ばかりではなく、内地で戦災にあって亡くなった人も多くあり、また敵として外国の多くの人々もかけがえのない大切な生命を失われました。

 にもかかわらず、戦場で亡くなった我が国の戦死者だけを英霊として祀ることは、「四海のもの皆兄弟」と教えられる仏法に背くばかりか、国家がそれを護持し奨励することは、国家主義的愛国心、民族主義的エゴイズムであって、ひいては戦争を「偉業」として美化し、肯定することになりかねません。

「国家のため」といういかなる大義名分を立てようとも、戦争を許すことは仏法の上からはもちろん、人間としてあってはならないことであり、さらに「英霊」云々といって生命に軽重をつけることは許されることではありません。

 悲しくも戦争という人間の大きな過ちに巻き込まれて無念の死をとげられた方々に想いを寄せ、手を合わせることは尊く大切なことであります。しかしそこに国家が介入し、立法化した時、そのことがどのように作用するかに厳しく心を配る必要があるのではないでしょうか。

(本多惠/教化センター通信No.118)

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Last modified : 2017/03/01 20:23 by 第0組・澤田見(ホームページ部)