問い

私は体の事情で一昨年と今年、2回人工中絶をしました。先日伯母に「今年のお盆にはきちんと水子の供養をし、お位牌も作らねばいけない。でないと今後子供に恵まれない」といわれました。水子供養は必要でしょうか。

(35歳・主婦)

答え

 40歳前後の女性が「水子供養をしてほしい」といって来られ、事情を聞くと、「私は現在一人暮らしをしています。行く先のことを思い再婚を考え、何度か相手を紹介されるのですがなかなかまとまりません。占いで見てもらったら、20年前の人工中絶が災いして再婚できないのだと言われました。たしかに20年前に好きな人があり妊娠しましたが、家庭の事情で結婚できず、やむなく中絶しました。ともかく再婚したいので、水子供養のお経をあげてください」と言われました。

 お寺では、お経を読むことにやぶさかではありませんが、それで水子の供養が済んだというのはとんでもない横着なことです。

 考えてみますと、水子とはいえこの世に人間として生まれるべき生命が、親の都合で闇から闇へ消されていったのです。その尊厳な生命を、事情があったとはいえ自分の都合の良し悪しで抹殺したことは、取り返しのつかない罪に違いありません。さらに、再婚したいという自分の思いを遂げるために、お経をあげたり供養したりしてその罪を消そうと思うことは、まったく自分勝手な考え方と言わねばなりません。

 「お経」は終始一貫して「生命は大切なものであり、その生命を賜って今生きていることはスバラシイことだ」ということに目覚める道理が説かれてあるのです。お経をあげてもらって罪が消え、自分の思いどおりの人生が開かれるだろうなどという解釈は、人間の思いあがった勝手な思いにすぎません。また水子供養をしなければ今後再婚できないとか、子供に恵まれないというのも何の根拠もないことです。

 あなたの場合も、体の事情とはいえ自分の生命を優先したことはまぎれもない事実です。その罪から解放されたいと考えるのが人情とは思いますが、罪から逃れる手段はありません。水子供養などで自分の罪をごまかすのではなく、このことを機縁として真実なる教えを聞いてゆく身となれば、罪が消えるというのでなく積極的に罪を背負い、罪の身を直視しつつ生きる本当の勇気が与えられてくることでしょう。そうすれば、供養ということの大切さとほんとうの意味も解ってくることでしょう。因みに、位牌は位(くらい)の牌(ふだ)ということで、平等を解く仏教の精神に反するので、真宗では用いません。

(本多惠/教化センター通信No122)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)