問い

昨年夫を亡くしてから、お仏壇に毎日お光を絶やさず、お供え物もし、またお茶も必ず位牌の前に供えていますが、先日お寺さんからお茶を供えるものではないと言われました。納得できません。主人はお茶が大好物でしたので、そっとお茶を供えています。いけませんか。

(61歳・主婦)

答え

 結論から申しますと、お仏壇にお茶を供えて悪いことではありませんが、お茶を供える必要がないのです。

 私たち真宗では、お仏壇の中心にご本尊阿弥陀如来を安置し、左にお花、右に燭台、真ん中に香爐を置きます。ご本尊の両脇には十字・九字のお名号か親鸞聖人・蓮如上人の絵像を掛け、左右の壁面に亡き人の法名軸を掛けるかあるいは過去帳を置きます。ご本尊前にはお仏飯を供え、灯明をともし、お香をたいてお荘厳(しょうごん)をし、身心を整えて合掌礼拝をし、勤行をいたします。

 人情からすれば、亡き人の法名前に亡き人が好きだったお茶や果物、お酒の好きだった人にはワンカップの一杯も供えたくもなるでしょう。その気持はけなげに思われますが、お仏壇の意味を心得て正しくお給仕することが大切なのです。

 真宗のお仏壇は「お内仏(おないぶつ)」と教えられますように私たちのご本尊をご安置する場所であり、阿弥陀如来を中心にお浄土の世界をお荘厳されるものです。他宗で言われるような先祖壇、位牌壇ではありません。真宗寺院の本堂や真宗門徒の家庭にあるお内仏は、非常にスッキリと美しい中にも荘厳(そうごん)さを感じます。その真宗寺院の本堂や各家庭のお内仏は、「方便化身の浄土(ほうべんけしんのじょうど)」と教えられ、阿弥陀如来の極楽浄土を私たちの家庭の内に仮に表現して、それを手だてとしてお浄土を憶(おも)い、阿弥陀如来のお心(本願)を聞かせていただこうという願いからお荘厳されているのです。その前に座ると、自然に手が合わされ、お念仏が申せるように整えられているのです。

 ですから、お内仏は私たちの勝手な考えを持ち込んでお供えする場所でなく、阿弥陀の世界に生まれよと呼びかけてくださっている仰せを胸に聞き、南無阿弥陀佛と念仏を申す身になってゆくための大切な場所です。

 阿弥陀の世界は法の味わいを食物としておられる世界ですから、お茶はいらないのです。亡き人も私たちに対する願いは、お茶や好物を供えてくれるということでなく、手を合わせてお念仏を申せる人になってくれよということであるに違いありません。

(本多惠/教化センター通信No123)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)