問い

私は二人兄弟の弟で、兄が本家を継ぎ、私は分家となっています。兄の家にはお仏壇があり、ご先祖をおまつりしています。先日法事のときに、住職さんより「弟さんの所も、お仏壇を安置されては」と言われました。分家の私の家でも先祖をまつる必要はないと思うのですが。

(56歳)

答え

 住職さんの言われるように、分家であってもお仏壇を安置されるべきです。真宗門徒のお家では、昔から子どもが分家するときには、仏壇を持たせて分家をさせました。また分家でなくても親と離れて生活する子どもたちには、必ず「三折の本尊」を持たせるのです。

 真宗では、仏壇と言わず「お内仏」と言います。それは、中心に阿弥陀如来をご安置し「ご本尊」としてお敬いをする場所であります。もちろん、ご先祖・亡き人の法名も掛軸にするか過去帳に記入してお内仏の両脇に置きますが、あくまでご本尊が中心であって、他宗で言われるような「位牌壇、先祖壇」ではないのです。

 かといって、ご先祖をお敬いする必要がないというのでは決してありません。ご先祖あっての私たちでありますし、そのお陰で真宗に縁を結ばせていただいたのですから、お敬いするのは当然のことです。私たちに縁を結んでくださったご先祖も、また真宗にご縁を持って生きられ、そしてお浄土に帰ってゆかれた大先輩です。そういう意味で、ご先祖は私たちを真宗の教えに導いてくださった「諸仏」だとも言えましょう。そのご先祖(諸仏)の願いは、子孫の全てのものが真宗の教えを聞き、念仏を申しつつ、この人生を大切に生きてほしいということであるに違いありません。

 だから、兄の家に仏壇があり、そこで先祖をおまつりしているから分家である自分の家では何もする心配がないし、お内仏を安置する必要もないというのはおかしいのです。本家の先祖は分家にとっても先祖、兄の親は弟にとっても親のはず。命をいただいて生きている限りは、そこに先祖や親の願いがかかっています。一回限りの人生だから空しく過ぎないように、その法を教える仏法を大切に聴聞し、常に念仏申しつつ生きてほしい。その願いが形に現れたものが「お内仏」なのです。

 法事は兄さんの家で勤め、自分も積極的にお参りをし、かつ自分の家でもご先祖を偲びつつ「お内仏」に手を合わせ念仏生活を深めてゆく。真宗門徒にとっての「お内仏」は、家の大黒柱であり、自分の人生に「本尊」が定まってくれば、生活全体に何の揺らぎもありません。是非とも、急いでお仏壇を整えてください。

(本多惠/教化センター通信No125)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)