問い

分家をしている私の次男が、自分にも仏壇がほしいと申しますので買い求めましたところ、亡き主人の法名以外に、次男の嫁の亡きご両親や友人の法名まで過去帳に書いているのです。仏壇は自分の家の先祖をまつる所だから、他家の人の法名をまつってはいけないのではないでしょうか

(60歳・主婦)

答え

 分家されたご次男が仏壇を希望されるということは、大変結構で喜ぱしいことです。真宗では仏壇と言わず、「お内仏」と言います。仏壇は単に道具類を表す名ですが、「お内仏」はご本尊の阿弥陀如来を安置し私たちの家の内まで来て照らし出してくださるお働きを表す名であります。その一家の中心となり鏡となるお内仏をそなえることは、最も大切なことなのです。

 ところが、一般には仏壇は先祖や亡くなった人を祭る所と思われています。しかしご本尊阿弥陀如来が安置されている真宗のお内仏は、単に先祖壇、位牌壇ではなくて、「方便化身の浄土」と言われ、阿弥陀如来を中心とした浄土を表しているのです。ですから、お内仏の前では一家そろって手を合わせ、阿弥陀如来の本願を憶念し、勤行をし、称名念仏するところです。

 そのお内仏の脇に、先祖や亡き人の法名軸、または過去帳を置きます。それは、私たちにとってご先祖や亡き人たちは私たちを生み育て、ひいては仏縁に遇わせてくださった先達(せんだつ)であります。その意味で「諸仏」とも教えられます。

 したがって、私たちを育て仏縁に向かわしめてくださった方は、自分の家の先祖だけではなく、多くの方々に限りない恩恵を賜っています。だから、ご次男がお嫁さんの緑者の法名を過去帳に記しておられるのは、いけないどころかむしろ尊いことだと言えましょう。

 ただしそれは、単に死者の霊を慰める追善供養ためであってはなりません。あくまで亡き人々は、私に生命の尊さを教えてくださる大切な方々としてお敬いするのです。

 仏教は本来、死者の祭りをする教えではなく、現に生きていることの尊さを教え、死という私たちにとっていちばん嫌な事実にも大切な意味のあることを教えているのです。亡くなった方々は、生涯をかけて私たちに大切なことを教えてくださったのですから、自家他家を問わず縁のあった方々を偲びつつ、阿弥陀如来の平等真実なる世界に目覚めてゆく念仏生活こそが真宗門徒の姿勢ではないでしょうか。

(本多惠/教化センター通信No128)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)