問い

40歳になるサラリーマンですが、3年前に交通事故に遭い、その後後遺症で会社を休みがちです。無理をするとまた調子が悪くなり、滅入ってしまいます。このままだと働けなくなるのではないか、妻や幼い子供の将来のことを思うと不安で、イライラするばかりです。何か心を落ち着ける方法はないでしょうか。

(40歳・会社員)

答え

 交通事故による後遺症で、仕事も休みがちとのこと、40才のお歳で妻子をかかえ、3年経過しても思うように仕事が出来ないということで、将来のことを考えて不安と焦りを持たれる御心境は、察するに余りあります。

 しかし、いくらイライラしても事態は変わるわけでなく、それどころかイライラのあまり家族の人に当たり散らすことにでもなれば、家族の悲しみをより深くするだけです。ここはひとつ、冷静に考えてほしいのです。

 静かに考えてみますと、あなただけでなく誰しも、病気・健康にかかわらず、来年、いや明日の日も仕事が順調に出来るという保証があるでしょうか。明日も命があるというなんの保証もないのが私たちの現実なのでしょう。ただ確かに言えることは、今、ここに与えられた現前の境遇に生きる我が身があるということです。厳密に言えば、私たちはいつでもこの現前の境遇を真摯に生きるしかないわけです。

 ある真宗の信者さんが、心筋こうそくで大手術を受けられました。生死も危ぶまれる状態のときお見舞いに行きますと、「病気のことはお医者にまかせ、生死のことは阿弥陀さまにおまかせするしかないですね」と、しみじみといわれました。

 なかなかすべてをおまかせすることはできませんが、事実はそれしかないわけです。家族のことや将来のことを考えて、イライラし悩むのは、生活のことではなく「思い」なのです。どうなるだろうかという思いのために、悩まされ振り回されている。どれほど思ってみてもどうにもならない。すべては妄念妄想の「思い」であったと気付かされ、現前の境遇に帰り、そこを明るく力強く生きてゆけと教えられるのが真宗の教えです。

 私たちは生涯、妄念妄想の心(思い)しかありません。妄念の心のままに、そのすべてを受け止め、しかも不安な現実の中に生きる勇気と方向を喚起してくださる働きを阿弥陀仏と教えられます。その真実なる教えに耳を傾けつつ、現実の一日一日を大切に生きるところにこそ、妻や子供も共にほんとうに明るく強く生きてくれるに違いありません。

(本多惠/教化センター通信No135)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)