問い

 私は五十二歳の主婦ですが、息子三人の内、上二人は社会人で、三男も来年大学を卒業します。今まで子ども中心に生きてきましたが、もう子育ても終わると思うと、何か自分の人生が終わったような気になり、淋(さび)しくなります。夫も仕事中心で、相手になってくれません。このまま老いてゆくようで不安です。どうしたらよいでしょう。

(52歳・女性)

答え

 子育て・教育・就職または結婚と、子ども中心に喜怒哀楽しながら悪戦苦闘して、ようやくそれらのことが一段落し、子どもから手が離れてふと我れに帰ってみると、何か人生が終わったようで、急に淋しくなられたというお気持ち、大変よくわかります。そうすると、今まで真剣にやってきたことはいったい何だったのだろうか、これからの人生をどう生きてゆけばよいのだろうかと、大きな不安が一挙に足もとから襲ってくる。このことは多くの人が経験することであろうと思います。

 そこでよく言われることは、「仕事や趣味を持ちなさい」「友だちとの交流を大切に」等々ということです。それも確かに大切でしょうが、はたしてほんとうに充実した生き方でしょうか。

 坂村真民さんは「二度とない人生を、いかに生きいかに死するか、耳かたむけることもなく、うかうかと老いたる人のいかに多きことか」と嘆いています。その意味で、あなたは五十二歳で「いかに生きいかに死するか」という人生の根本課題に気づかれたことは、スバラシイことなのです。この課題をごまかさずに、ずっと大切にしていかれることです。

 太宰治(だざいおさむ)さんは『斜陽』の中で、かず子という主人公に「幸せのくるのを胸のつぶれる思いでただ待ち続けるだけでは、あまりにもみじめです。人間として生まれたこと、生きていてよかったということを人間として、世の中において、いのちを通してほんとうに喜んで生きとうございます」と言わせています。

 人間として生まれ、人間として世の中を生き、いのちを通してほんとうに喜んで生きる道を明らかに説いてくださった方が、釈尊です。その仏の教えによって、九十年の生涯を「人間に生まれた意義と生きる喜びを見出し」て生きられ、その道をまた私たちに示してくださっているのが宗祖親鸞聖人です。人生の淋しさ、空しさを感ずることこそ、「真実の道を求め、真実に生きよ」との催促です。お互いに、今こそ襟(えり)を正して聞法(もんぽう)生活にいそしみたいものです。

(本多惠/教化センター通信 No136)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)