問い

二年前、私の姪がノイローゼの末、自殺しました。23歳の若さでしたが、生前私はよく相談にのったりもして、よき理解者であったと思います。ところが最近その姪の夢をよく見、眠れない日もあるので、ある宗教の人に話したところ、姪が自殺したため成仏できないで、私に何か言いたがっているのだというのです。そんなことがあるのでしょうか。

(40歳・女性)

答え

 姪御さんが23歳の若さで、どのような理由にせよ自死されたのは悲しいことです。生前とくに親しく可愛がっておられたあなたにしてみれば、今なお何かと思い出されることが多かろうと胸の内をお察しいたします。

 最近その姪御さんの夢をよく見られるとのことですが、姪御さんを大切に重い親しくしておられたあなたであれば、夢に見るほどに深く思いをいたしておられるのは、むしろ当然のことであって、「自殺したため成仏できないで私に何か言いたがっている」などということは決してありません。

 夢は心の底深くに蔵されているものが現れてくるといわれています。日常の生活では、とても表に現れないような愛憎喜怒、はげしい欲望、恨みや悲しみ、積み重ねられた経験などが、自分では気付かないままに深く心にたくわえられていて、それが夢となって現れてくるのです。ですから、世間でよく言われるような霊魂の働きによるものではありません。

 自殺したため成仏できないのではないかと心配しておられるようですが、「そんなことがあるのでしょうか」とあなた自身も疑問に思っておられるように、そんなことは決してありません。

 親鸞聖人は「善信(親鸞)が身には臨終の善悪をば申さず」とおっしゃっています。聖人の晩年、88歳の時のお手紙です。京都に住んでおられた聖人のもとに関東の同行(どうぎょう)が天災や疫病で老若男女の多くの人々が亡くなってゆかれる様子を聞かれ、その返事に、老若男女どのような死に方をされようが、阿弥陀如来の願いの中に生死(しょうじ)されるのであるから、死に様の善悪は無いとおっしゃられるのです。

「死の縁無量」と仏教では教えます。いかなる縁で死なねばならないか、私たちの計らうことではありません。彼女の死を思うにつけ、命を尽くして生きることの深い意味を仏教に学んでゆかれることが、彼女の死に応える道ではないでしょうか。

(本多惠/教化センター通信 No142)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)