問い

『正信偈』に「五濁悪時(ごじょくあくじ)の群生海(ぐんじょうかい)」とありますが、どういう意味ですか。

(52歳・男性)

答え

 ひと言で申しますと、五濁(ごじょく)という悪い時代の生きとし生けるものということです。群生(ぐんじょう)とは群がり生きるもの、海とは無限を意味する言葉で、人間をはじめとする無数の生物をいいます。

 五濁とは五つのにごりという意味で、時代とともに世の中が悪くなる様子を教えられたものです。それを劫濁(こうじょく)・見濁(けんじょく)・煩悩濁(ぼんのうじょく)・衆生濁(しゅじょうじょく)・命濁(みょうじょく)と言われ、『阿弥陀経』に説かれております。

 まず劫濁とは時代が悪くなるということです。しかし時代そのものが悪くなることはありません。時代の内容である人びとが悪くなるのです。現代の社会状況を見れば一目瞭然です。その原因は見濁といわれる「自分は正しい。他人は間違っている」という独断です。その元は、自分さえ得をして気楽に生きればよいと思う煩悩です。そのことによって自分の欲望を満たすためには、手段を選ばない。ついには保険金殺人まで発展するわけです。そこには尊厳なる生命も自分の欲望の対象としか見られない、実になげかわしい現実を露呈(ろてい)するわけです。まさに生命を生命として受けとめられない。それを命濁と教えられるのです。

 かつて高史明(コ・サミョン)先生が同朋大会の席でおっしゃったことが思いおこされます。

一万メガトンの核爆弾が地球を覆うなか(劫濁)、我をよしとし(見濁)、欲望のかぎりをつくし(煩悩濁)、そのため人間のもてる資質が退化し(衆生濁)、生命が根こそぎ濁ってしまう(命濁)。

 この高先生のお言葉から痛感することは、「人間のもてる資質が退化し、生命が根こそぎ濁ってしまう」ことの恐ろしさです。人間本来の資質とは、生命あるものに対する優しさでしょう。「生命が濁る」とは、生命の尊さを見失うことです。

 まさに現在は五濁悪世であり、その時代に私たちは生きているのです。親鸞聖人がその私たちに「如来如実の言(みこと)を信ずべし」とおっしゃる悲痛な叫びに、心の耳を傾けようではありませんか。

(本多惠/教化センター通信 No154)

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Last modified : 2015/02/20 0:23 by 第0組・澤田見(ホームページ部)