問い

法話などで「諸仏(しょぶつ)」という言葉を聞きますが、どういう意味ですか。

答え 諸仏とは文字どおり、もろもろの仏ということで、阿弥陀仏の分身とでもいいましょうか、教典には化身ということで説かれています。ごく身近な『阿弥陀経』には、極楽に種々雑多な鳥が鳴いている。それは阿弥陀仏が法音を宣流(せんる)せしめるために、変化されておられるのだと説かれています。さらに諸仏はインドでいちばん大きなガンジス河の砂の数ほど居られて、私たちにお念仏のスバラシサを教えてくださっていると説かれています。

事を分けて申しますと、少々専門的なことになつかと思いますが、諸仏のはたらきを勧信(かんしん)、証誠(しょうじょう)、護念(ごねん)、讃嘆(さんだん)という四つで教えられています。

勧信とは信心をすすめるということで、諸仏は私たちに対してはもちろんのこと、一切衆生に向かって阿弥陀仏を信じ念仏して浄土に往生せよとすすめられる。そして念仏往生は真実の大道であると証誠(証明)され、そのうえに念仏者を護念(見守る)してくださるということです。そのこと全体が阿弥陀仏を讃嘆し、念仏者の心意気をほめたたえるということになるわけです。

このように勧信、証誠、護念、讃嘆というはたらきをなさる諸仏がどこかにおられるというお話ではないようです。言いかえれば、このような四つのはたらきをしてくださる方を諸仏を申し上げるのだといったほうが適切かと思われます。

具体的に申しますと、同朋会など聞法会に友達が誘ってくださる。自分は仕事で毎日疲れていて、今日ゆっくり風呂に入りテレビを楽しもうと思っていた。しかし友達に誘われて同朋会に行く気になり、出席してみたら周りの人々が「よく来たネ」といって歓迎してくださった。

この場合の友達や出席された人びとは、諸仏のはたらきをしてくださった方として、私は感謝の気持ちをもつでしょう。気がつけば諸仏に見守られて生きていたのです。「聞法はぐるりの拝める手をいただくことです」と先人は言われています。

(本多惠/教化センター通信 No156)

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Last modified : 2015/02/15 9:56 by 第0組・澤田見(ホームページ部)