問い

毎日『般若心経(はんにゃしんぎょう)』をあげ写経をしてきましたが、手次のお寺の住職さんから「『般若心経』をあげることは自力だからだめだ」と言われ、とまどっています。

(60歳・男性)

答え

 『般若心経』は仏説です。仏説であれば、仏教徒である者は大切にするのは当然であり、その教典を読誦(どくじゅ)することは決して間違ったことではありません。しかし、その教典がどのような内容のものであるかということをまず知るべきです。そして、その教典を読み、また写経するときの自分自身の思いを確かめることが大切かと思います。

 親鸞聖人は多くの教典を引用して『教行信証』を作られました。しかし、『般若心経』の眼目とも言われる「色即是空、空即是色」の文は引用されていません。「色即是空、空即是色」は真理そのものでしょう。ですが、そのことを知ったことによって現実の苦悩が解決されるでしょうか。

 仏教で教えられる救いは、まず第一に自覚、目覚めです。釈尊(おしゃかさま)は覚者といわれますように目覚めた人です。目覚めた人の教えは「目覚めよ」ということです。何に目覚めるのかというと、いのちの尊厳に目覚めるということです。

 第二には解脱(げだつ)です。解脱とは煩悩(ぼんのう)からの解放です。煩悩とは欲です。欲望から解放されるということは、欲が無くなるということではありません。欲が邪魔にならなくなるということです。欲とは財欲、地位・名誉欲で代表されますが、それより大切ないのちの尊厳に目覚めたならば、どういうことになるか説明するまでもなかろうかと思います。

 第三には往生(おうじょう)です。生きる方向、人生の歩むべき方向が定まるということです。この三つの事柄で仏教の救いということが教えられています。

 としますと、『般若心経』を読み、また写経することがどういう内容をもっているのかということを、今一度考えてみる必要があろうかと思います。「自分はお経をあげている」「写経している」「心を静めている」と思い、そのことが気休めになって、目覚めることをいのちとする覚者の教え、仏教を、気休めの道具にしているのではないでしょうか。

(本多惠/教化センター通信 No162)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)