問い

仏教の言葉で「生死(しょうじ)を出る」とか「出離生死(しゅつりしょうじ)」とはどういう意味でしょうか。

(60歳・男性)

答え 人は皆、生まれて生きて死んでゆく旅人だと言われます。まさにそのとおりであって、誰もこのことに異論を唱える人はありません。私たちは生まれてきたから今生きているのですし、生きているから必ず死ぬということがあります。その間に老・病という嫌なことがあります。

私たちにとって生まれるということは喜ばしいことであり、老・病・死は嫌なことですが、現実は老・病・死から免れることはできません。他人事としては納得できても、こと自分自身のこととなると苦悩します。その苦悩から解放されることを「出離生死(しゅつりしょうじ)」と言われるわけです。

お釈迦さまが出家なさった動機は「老・病・死を見て世の無常を悟る。国の財位を棄てて山に入りて」と言われています。そして29歳で出家され、35歳のときついに老・病・死を受けて立つ、すなわち、いつ死んでも悔いない境界(きょうがい)に目覚められたわけです。つまり生死を出離されたわけです。

親鸞聖人も世の無常を実感され、9歳のとき仏教を志し、29歳のとき法然上人に遇われ、「生死出ずべきみち」それも特別に修行した、いわゆる善人だけでなく、「良き人にも悪しきにも、同じように、生死出ずべきみち」を法然上人から教えられたのです。

「生死を出る」とは、生死が無くなることではありません。生死する自分自身の現実を受け入れるということです。しかし誰もが死ぬことは嫌です。恐ろしい不安があります。その生死の不安、恐怖をすべてまかすことのできる私に目覚めることが大事ではないでしょうか。
それは「いのち」です。私たちの思いをこえて、いのちは今生きています。老いていくことを恐れ、病を厭い、死に恐怖を感ずる今の私、それ全体をいのちは支えているのです。
いのちにすべてをまかすことの出来ない私自身に、深い悲しみを感じるのは私だけでしょうか。

(本多惠/教化センター通信 No163)

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Last modified : 2015/02/15 9:55 by 第0組・澤田見(ホームページ部)