問い

夫に先立たれて一年半になりますが、夫が達者なうちにもっと大事にしておけばよかったのにと考え込んでしまう毎日で、なかなか元気が出ない私です。どうすればいいのでしょう。

(65歳・女性)

答え

 六十五歳の身で、夫と死別されて何かと考えることの多いあなたの気持ちはよくわかるように思います。長い人生を共に歩んでこられ、おそらくは定年退職され、いわゆる第二の人生を共に歩み出そうと思う矢先の死別は、特に思うことが多かろうと思います。

 そこで「夫が達者なうちにもっと大事にしておけばよかったと考え込んでしまう毎日」を送っておられるとのことですが、その思いやりの気持ちは尊いことで、生前の御主人と仲むつまじく生活なさっておられたであろうことが想像されます。しかし、そのことであなた自身が落ち込んでしまい、元気が出なくなられては困ります。今は亡き御主人も悲しまれるのではないでしょうか。

 ここで考えなくてはならないことは、亡くなられた御主人は、遺されたあなたに何を願っておられるかということです。極端な言い方かもしれませんが、死という厳粛(げんしゅく)なる事実をもって、大切なことを教えておってくださるのではないでしょうか。死ということはいちばん嫌なことです。しかし始まりがあれば必ず終わりがあるように、生まれたからには必ず死があります。このことは頭では一応知っておりますが、常日頃(つねひごろ)はそのことを忘れたり、そのことから目をそらして生きているのが私たちでしょう。

 必ず死ぬ、ということを目の前に突き付け、今生きていることの重大さを否応なしに教えてくださるのが人の死、特に身近な人の死であります。「弔(とむら)うとは、死を前にして生を訪(とむ)らうことだ」と先人は教えております。

 仏教では「生死出離(しょうじしゅつり)」といって、生死に執(とら)われて、今現に生きていることの意味を忘れている私たちに、生きていることのスバラシサを教えています。真宗門徒は「亡き人を偲びつつ如来のみ教えに遇いたてまつる」と言い交わしています。

 あなたも夫の遺志の何たるかを明らかにされ、今生きてある我が身をほんとうの意味で大切にしてください。

(本多惠/教化センター通信 No164)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)