問い

お念仏もうすとき、亡き父母に会えるような気がしますが、真宗の教えから言えば間違っているのでしょうか。

(55歳・男性)

答え

 お念仏をもうすと、亡き父母に会えるような気がするとおっしゃる、その感情は尊いことだと思います。親鸞聖人の師である法然上人は「亡き父母・知友に会いたくば、念仏して浄土に往生しなさい」と教えておられます。浄土とは生の依るところであり、死して帰すところと教えられますように、私たちは浄土を心の拠りどころとして現実の世を生き、この人生を生き切って、遂に帰ってゆく世界、その世界が浄土といわれるのです。

 亡くなられた方がたは皆、浄土に迎えられて諸仏(しょぶつ)として私たちを見守っていてくださるのです。それを還相(げんそう)の菩薩(ぼさつ)といいます。還相とは「還る相(かえるすがた)」という意味で、浄土へ生まれた方が、再びこの世に帰られて衆生を教化し、浄土へといざなうはたらきをなさる、それを菩薩というのです。

 金子大栄先生のお言葉の一つですが、「亡くなられた方は還相の菩薩として、現に私どもの前におられる」とおっしゃっておられます。そしてさらに具体的に、いつ、どこに、どのように現れるのかと自問され、自答されました。「拝むとき、拝まれるものとなって、拝む人のうえに現れる」と。

 いたって明快なお話かと思います。拝むときとは手を合わせて、お念仏するときです。拝まれるものとは阿弥陀如来です。拝む人とは私です。

 常日頃は忙しさに追われ、世事にかまけて、大切なことを見失って生活しているのが私たちではないでしょうか。蓮如上人は、「一日のたしなみはお内仏に手を合わせること。一月のたしなみはお寺にお参りすること。一年に一度は本寺(本山)に参詣することが門徒のつとめだ」と教えておられます。私たちも、つとめて仏前に手を合わせるようにしたいものです。亡き父母を偲ぶことをご縁として、年忌、法事、お寺での法座など、心して参加し、自分が今生きていることの意味、そして生きる方向を明確にして、安んじて一日一日を大切に生きたいものです。

(本多惠/教化センター通信 No171)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)