問い

定年退職した後、趣味に忙しい毎日ですが、「自分も死ぬのだ」と思うと、目の前がまっ暗になります。これからどのように生きていけばいいのでしょうか。

(65歳・男性)

答え

 「死にたくない」という思いは、誰もが多かれ少なかれ思っていることであろうかと思います。死に対する不安、恐れ、そして死によって自分のすべてが無に帰するのではなかろうかと思われる空虚感(くうきょかん)は、まじめに生きようとしている人ほど深いことでありましょう。

 現代では自分の死を考えることを、なるべく避けて生きようとする方向にむかっているように思われます。あらゆる方法、手段で、死から逃げようとしているようです。しかし逃げ切れるものではありません。必ず死はやってくる。そのことを自分自身がよく知っているからこそ、不安になるわけです。

 「死を前にして生を問う」と教えられます。身近な人の死、さらに自分自身の死を痛感して、現に生きている自分自身が問われてくるのです。明日生きているという保証もない私、この私は今を十全に生きているといえるであろうか。明日死んでも悔いのない今日を生きているといえるであろうか。

 「老・病・死を見て世の無常を悟る。国の財位(ざいい)を棄てて山に入りて道を学したまう」。これはお釈迦さまの出家の動機を説かれたものです。死の縁は無量だといわれますように、生まれて生きているからには、どのような病気や事故で死ぬかもしれません。仮に病気や事故に遭わなかったとしても、刻一刻と老化し、遂には死へ至ることは必然です。これは自然の道理なのですが、自分自身のこととして納得できないわけです。お釈迦さまは、その事実をごまかすことができず、じっと見つめられて、ついに、仏道を見いだされたのです。

 その教えに導かれて生き生きと生きておられる人に出遇い、親しくお話を聞く以外にないと思います。教えを聞くことで、わが身のあり方が知らされてくるのです。教えを通してほんとうのよりどころを見いだし、限りある人生を限りない感動をもって生きたいものです。

(本多惠/教化センター通信 No173)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)