問い

三部経は正しくは「浄土三部経」だと教わりましたが、なぜ浄土とついているのですか。

(50歳・男性)

答え

「浄土三部経」という名称は、もとはといえば親鸞聖人の師である法然上人の『選択集(せんじゃくしゅう)』に始まります。『選択集』の二門章に、

 往生浄土を明すの教というは、三経一論(さんぎょういちろん)これなり。三経というは、一には『無量寿経』、二には『観無量寿経』、三には『阿弥陀経』なり。一論というは天親(てんじん)の『往生論(浄土論)』これなり。あるいはこの三経を指して浄土の三部経と号すなり。

と明記されています。
 さらに、「三部経」ということについては、

 三部経の名、その例ひとつにあらず。

と、他に法華(ほっけ)の三部経、大日の三部経、鎮護国家の三部経、弥勒(みろく)の三部経があると示されます。
 しかしながら、法然上人は、

 今はただこれ弥陀の三部なり。ゆえに浄土の三部経と名づくなり

と述べておられます。
 そのうえで、

 弥陀の三部というは、これ浄土の正依経(しょうえきょう)なり。

と言われています。正とは正報(しょうほう)といわれて、阿弥陀仏そのものをさし、依とは依報(えほう)といわれて、環境、すなわち浄土のありさまをいいます。ですから私たちが「三部経」といっている『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』は、いずれも浄土の主である阿弥陀仏と、浄土の相(すがた)が表現され、さらに私たちが浄土へ往生する方法が説かれているので、「浄土三部経」といわれるわけです。

 親鸞聖人も数多くの経典の中から、この「浄土の三部経」を選ばれ、釈尊があらわされた真実の教えとしていただかれたことはいうまでもありません。

 ちなみに、『仏説無量寿経』には阿弥陀仏の本願が表され、一切衆生、つまり生きとし生けるものがすべて平等に浄土へ往生する道理が説かれています。『仏説観無量寿経』には、一切衆生が浄土往生する道理によって、一人の女性が現に救われていく実例が説かれています。『仏説阿弥陀経』には、一切衆生が念仏によって間違いなく浄土往生することを諸仏方が証明、讃嘆(さんだん)され、私たちに浄土往生をうながしておられる事実が説かれています。

(本多惠/教化センター通信 No176)

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Last modified : 2015/02/15 21:07 by 第0組・澤田見(ホームページ部)