問い

同朋(どうぼう)・同行(どうぎょう)とは、どういう意味ですか。また、「同朋会運動」について教えてください。

(62歳・女性)

答え

 ひと言で簡単に言えば友達ということですが、同朋というのは、志を同じくする友ということです。同行というのは、行を同じくする友ということです。私たち真宗門徒にとって、志とは浄土往生を願うということであり、行といえばお念仏を称えるということです。

 現在、私たちは同朋会運動(どうぼうかいうんどう)ということで、あちこちで同朋会が開かれています。また最近では同行という言葉は使われることが少なくなったかと思われますが、古くから真宗の根づいている地方では、真宗を依りどころとして生活している人びとを、同行衆という呼び方をしています。

 もとはといえば親鸞聖人が、晩年、本願を信じ念仏している人びとを御同朋(おんどうぼう)と呼ばれたことから来ているかと思われます。聖人のお手紙を集めた『末燈鈔(まっとうしょう)』や、門弟に話されたことが記録されている『歎異抄(たんにしょう)』に、同朋・同行という言葉が使われています。また蓮如上人は『御文(おふみ)』に、「聖人(親鸞)は御同朋・御同行とこそ かしずきて おおせられけり」と書きしるしておられます。

 親鸞聖人、蓮如上人のお言葉から推察しますと、同朋・同行ということは、師を同じくし、師の教えを共に聞き、その教えを生活の拠りどころとして生きる人のことであろうかと思われます。親鸞聖人の直接の師は法然上人ですし、蓮如上人が師と仰がれた方は親鸞聖人であるに違いありませんが、法然上人の教えを聞く人、また親鸞聖人の教えを聞く人以外の人は同朋でないとは、決しておっしゃっていません。言葉でいえば「如来(にょらい)の教法(きょうぼう)」を聞いて生きる者同志だという意味のことをおっしゃっています。

 単純に言えば、人間として自然(じねん)のいのちを賜って生きているもの、そして生きとし生けるものすべてが同朋であり、同行であるという視点に立って、お互いに同朋・同行であるということに目覚めていこうではないか、という呼びかけが「同朋会運動」であると思われます。

(本多惠/教化センター通信 No178)

Pocket

Last modified : 2015/03/02 18:13 by 第0組・澤田見(ホームページ部)