問い

『正信偈(しょうしんげ)』にある法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)とは、どういうお方なのですか。

(60歳・女性)

答え

 法蔵菩薩は実在した人物ではありません。お釈迦さまが説かれ、親鸞聖人が「真実の教」だと言われた『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』に、物語の形で説かれています。

 あるとき、一人の国王があって、仏の説法を聞いて深く心に感ずるところがあり、求道心(ぐどうしん)を起こして、国をすて、王位をすてて、一求道者となり、世自在王仏(せじざいおうぶつ)」という名の仏をたずね、みずからの深い志を述べて、重ねて次のようなことを申されました。

 「私は道を求めたいと思います。どういう世界が私のたすかる世界であり、どうすればそれを得ることができるか、願わくは、それについての教えをいただきたいと存じます」。

 そこで世自在王仏は、その願いに応じて、あらゆる仏の国土、あるいは人間世界の幸・不幸のさまざまな状態をまざまざと、目に見えるように説かれ、これによって法蔵菩薩は本願を発され、阿弥陀仏の浄土を建立されたと述べられています。

 この物語を私たちは、ただのお話として聞き過ごしてはならないと思います。物語というものは、理論では表せない、もっと深い意味を表す形式であって、人間にとって、ほんとうに深いもの、私たちにとって実に大切な問題が語られているものであります。

 さまざまな生物の中で、人間も同じ生物の一種でありますが、人間はいろいろのことを問題にし、また悩みます。もうひとつ奥には、人間は自分を問題にし、自分に悩むということがあります。経済的なこと、政治的なこと、家庭内での問題、対人関係の問題など、さまざまな問題がありますが、それらのことを問題にしている自分自身が問題になったところから、ほんとうの求道が始まるのでしょう。

 だから道を求めないのは、いちばん身近な、いちばん大切なものを見失って生きているということになろうかと思います。いうならば、人間の歴史の底を流れてきた、真に人類の魂(たましい)である生命のさけびが、法蔵菩薩の名のもとに説かれているかと思われます。

(本多惠/教化センター通信 No181)

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Last modified : 2015/02/11 23:21 by 第0組・澤田見(ホームページ部)