問い

ニュースなどを見ていて思うのですが、どうして人間は仲良く平和に暮らすことができないのでしょうか。

(15歳・女性)

答え

 少年時代の釈尊(お釈迦さま)が散歩しておられたときのことです。農夫が畑を耕していると、ミミズや昆虫が土の中から出てくる。それを小鳥がやってきて食べていた。かわいそうにと思って見ていると、空から鷹が舞いおりてきて、小鳥をくわえて飛び去っていった。その様子をご覧になった釈尊が、「この世界では、なぜ殺し合わなくては生きていけないのか」と痛切に感じ、疑問をもたれたのが、29歳での出家の動機の基本にあるといわれています。

 釈尊は一国の王子でしたから、当時のインド内の国々の戦争も見聞しておられたに違いありません。現に隣国のコーサラ国から脅しの苦渋も体験されておられます。そのような世に生きる人が、人間として生きる生き方に目覚められ、その生き方を身をもって証明されたのが釈尊であると思われます。

 真理に目覚め、命の尊厳を説かれた釈尊であっても、弱肉強食、人間同士の争いを無くすことはできませんでした。それは、人間はもとより、肉体をもって有限なる現実を生きる、生きとし生けるものの宿命(運命)であるからです。
 そこで、「あなたはどう生きるか」を問いかけ、生きる方向への目覚めを促す教えが仏教です。

 私たちは、いかに高尚な理念をもっていようと、物を食べなくては生きられません。物を食べるということは、動物・植物の生命を奪うことです。その手段として人間同士の争いも起こることは、事のなりゆきとして当然です。
 生かされて生きていることはスバラシイことです。しかし生きていくということは悲しい事実であるといえるかもしれません。

 曽我量深(そが・りょうじん)先生はおっしゃいました。
「和とは不和なり、不和の悲しみなり」と。

(本多惠/教化センター通信 No189)

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Last modified : 2014/12/09 6:17 by 第12組・澤田見(ホームページ部)