問い

長年勤める会社の経営状態は悪化するばかり。部下の尻をたたき、ここ数ヶ月がんばってきました。しかし最近は疲れてしまい、悩んでいます。

(47歳・男性)

答え

 最近よく、あなたのような心境を話される方に出会います。とくに仕事熱心な中年の方が多いです。

 突飛な話のようですが、ある人から聞いた話をご紹介します。30年ほど前のことですが、学生結婚をしていたその人は、子どもも2人あって、アルバイトをしながら学生生活を送っていたので、「疲れた」という言葉を連発していたら、指導教授の先生がおっしゃったそうです。

 当時、90歳を過ぎて大谷大学の学長をしておられた曽我量深(そが・りょうじん)先生が、九州方面に講演に行かれ、その帰りに京都の大谷大学で記念講演をされる。車中でその先生が、「さぞお疲れでしょうね」と言いますと。「いや、私は疲れません。私はいつも一つのことしか考えていませんから」と言われて、返す言葉を失ったということでした。

 私たちは仕事や物事によって疲れるのではなく、自分の思惑によって疲れるのでしょう。自分がどれほど真剣にしても、自分の思いどおりにならない。他人も評価してくれない。自分は何のためにしているのか、さらには自分は何のために、どのような意味があって今、生きているのか。考えれば考えるほどわからなくなり、空しさしか残らないのではないでしょうか。

 「偽」とは「イツワリ」という字です。人の為にするということは「イツワリ」です。つまり、何なにのためにするということは、不本意なことなのです。しなくてはならないことをしていて、それで評価されないと空しさを感じるのは当然です。そういう意味でも、「せずにおれないこと」を見だしたいものです。

 そして、今、自分がしていることに疲れを感じ、悩みを持つということは、「せずにおれないこと」が自身の内にある証です。その内なる突きあげが、疲れ、悩みであろうかと思われます。お互いに悩みから逃げることなく、苦悩を大切にしていこうではありませんか。

(本多惠/教化センター通信 No191)

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Last modified : 2017/02/28 20:33 by 第0組・澤田見(ホームページ部)