問い

人が亡くなって、お葬式さえすれば、中陰(ちゅういん)の仏事やその後の月忌(がっき)勤めとかは必要ないのではないですか。

(32歳・女性)

答え

 最近、葬式さえ済ませば中陰勤めは無しで、満中陰(まんちゅういん)法要は勤めても、その後の仏事は省略という若い人たちがたまにおられるようです。

 これは、葬(ほうむ)り去れば終い。亡くなった者とはもう関係ないとでも思われているのでしょうか。それは生きている者の都合中心の考えで、亡き人の死を無駄にすることではないでしょうか。

 仏教では中陰と言って、死後四十九日間、一週間ごとに亡き人を偲びつつ仏事を勤め、さらに満中陰の法要が終わった後、毎月のご命日にお勤めをしてゆくという仏事を大切にして参りました。

 これは、単に亡き人が死後迷わず成仏するよう供養してあげるということではありません。七七日間(しちしちにちかん)、身近で大切な人の死を見据えつつ、そこに亡き人の真の願いを聞き、生きている私たちが仏さまの教えに遇(あ)わせていただく大切な法縁なのです。亡き人は生命を掛けて、私たちに人生の最も大事なことに目覚めるよう体説法(たいせっぽう)をしてくださっています。

 それは、「お前の人生にも必ず終わりが来るぞ。しかもその終わりはいつ来るかわからんぞ。その死をいったい何に依って超えてゆくのか」と、身をもって呼びかけておられます。

 この機会こそ、死なないつもりでうかうかと、空しく人生を過ごしている日ごろの私の生きざまを振り返り、目を覚ます好機ではないでしょうか。これは亡き人の生命を掛けた贈り物であります。

 この贈り物を無駄にすれば、亡き人も私も助からない。「私の死を縁として、真実のいのちに目覚め、生まれた意義と生きる喜びを見つけてほしい」という亡き人の願いを聞き、仏さまの喚び声が聞える身になってこそ、亡き人も真に助かるのでありましょう。

 七七日間の仏事も、月忌勤めも、「お経」をいただき、親鸞さま、蓮如さまの真実のお言葉を聞かせていただいて、亡き人ともどもこの私が、生と死を貫いて、しかも生と死を包んで、今ここに私を生かしめてある「真実の生」に目覚めさせていただいてゆく、仏さまのご化導(けどう)であります。どうかご仏事をお大切に。

  亡き人を案ずる私が
   亡き人から案じられている

(本多惠/教化センター通信 No201)

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Last modified : 2014/12/09 6:17 by 第12組・澤田見(ホームページ部)