問い

「正信偈」は、お経ではないと聞きました。それはどういうことですか。

(64歳・女性)

答え

 「正信偈」といいましたら、真宗のご門徒にとりましては朝夕のおつとめ(勤行)をはじめ、報恩講を中心とする法要や法事では、必ず念仏・和讃(わさん)とともにみな一同、唱和いたします。

 一般にご本尊の前でおつとめをすればお経と思いがちですが、「正信偈」はお経ではないのです。お経は釈尊の教えがまとめられたものであり、お経が読じゅされることは、釈尊のお説法がなされるということです。

 「正信偈」は、宗祖親鸞聖人が著述された『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の「行巻(ぎょうのまき)」の最後に述べられています。正しくは「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」といいます。「正信偈」の「偈」とは、「うた」ということです。七言百二十句でもって仏徳を讃嘆(さんだん)されています。

 親鸞聖人は「正信偈」を書かれる時に、

しかれば大聖(だいしょう)の真言に帰し、大祖(だいそ)の解釈(げしゃく)に閲して、仏恩の深遠(じんのん)なるを信知して、正信念仏偈を作りて曰わく (聖典p203)

と述べておられます。

 親鸞聖人が「正信偈」をお作りになられたおこころですが、それは、なによりも本願念仏の教えに出遇えた無上の慶びが込められています。この身にかけられた深くして遠い仏のご恩であると、いただかれたのです。

 その本願念仏の真実の教えは、釈尊によって、そのいわれを説いてくださったのです。そして、釈尊より後の世に出られたインド・中国・日本の三国の七高僧に受け継がれ、明らかにしてくださったお陰であるとされたのです。

 その慶びは、感動と謝念を込めて、仏さまと高僧方のお徳をほめ讃えられ、「偈(うた)」として表されたのです。

 今この私が、「帰命無量寿如来、南無不可思議光」と「正信偈」をおつとめすることにより、親鸞聖人が弥陀の本願に出遇われた慶びの感動が伝わり、無量寿・無量光の「如来にいかされているいのち」を賜っていることを実感してまいりたいものです。

 現に、ここに在る私たちが親鸞聖人から本願念仏の教えをねんごろに聞かせていただいているのであります。

(教化センター通信No.211)

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Last modified : 2015/02/20 0:21 by 第0組・澤田見(ホームページ部)