問い

 主人の転勤により、長年住み慣れた土地を離れ、去年暮れに現在の住まいに引っ越してきました。ところが最近、親戚に不幸が続いたり、息子の事故、私の入院など、引っ越してから良くない事が続いています。実家の母に相談したところ「家の方角が悪いのでは」と言います。今まで私は方角や迷信など、あまり気にしたことがなかったのですが、こうも悪い事が続くとやはり気になります。母の言うとおり、家の方角が悪いためにこのような事が続くのでしょうか。

(岐阜県・42歳・主婦)

答え

 相談される相手を間違われると、迷路に入り込んだようになり、かえって心は開かれません。

 お母さんのいわれる通りに、家の方角が悪いのではないかと、その家を離れる、そして今度移った家で、また悪いことが起こったら、また移転されますか。あなたのいわれる悪いことも、起こるときは起こるし、起こらぬときは起こりません。すべては因縁で、起こるべくして起こったのです。

 大体この人生というものは、どちらかといえば、あなたの思っておられるような、善いことなど起こることはないのです。なに一つ善いことなどしないで、うまくいくことを願うのは、虫がよすぎるというものです。善いことなど当てにせず、悪いことの起こるのは当然と、受けとって生活してください。

 明治のころ、大阪の堺に吉兵衛さんという、純な信心の人がいました。知人の家から井戸掘りを頼まれ、数人の手伝いを連れてきて、仕事にかかりました。どこででもよく見かける人ですが、物知りを自認する老人がやってきました。「ほう井戸掘りか。精の出ることだな」といって「これはいかん。方角が悪い。ここは鬼門に当たる。場所かえた方がいいぞ」といいました。「そうか。そりゃ知らなんだ。みんな仕事を休んで、一服してくれ」といって、吉兵衛さんは煙草を吸い始めました。なおもその老人は、方角の悪いことを講釈して帰りました。吉兵衛さんはさっと立って、「さあ、仕事を始めてくれよ」「ここは鬼門といってたではないか」というと、「鬼門は、今帰った」といっています。この皮肉わかっていただけるでしょうか。吉兵衛さんには、方角など気にする心はなかったのです。しかし、人のいう事に直ちに反発しないで、一応相手のいうことを聞いて、自分の信念を通したのです。

 この世に悪いことなどないのです。みな善かったといえることばかりです。自分にとって都合が悪いから悪くなるのです。楽をしたい、苦労はしたくないという心が、「悪いこと」としているのです。悪いと思っていることも、それによりて気付いていることもあるはずです。そこから更に、よい勉強したな、教えられたな、と深まっていったら、単なるマイナスにはならないはずです。何も彼もうまくいく人生などは、どこにもないことを知って下さい。もしそうなれば人間は有頂天になって、かえって堕落してしまいます。蹟(つまず)きが人間を人間にしてくれるのです。

(松井慧光・「南御堂」もしもし相談室より)

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Last modified : 2014/12/09 6:17 by 第12組・澤田見(ホームページ部)