問い

 私には5歳と3歳の男の子がおりますが、下の方がよく病気をします。私はそれほど気にもとめていませんが、姑は子供の名前の画数が悪いから病弱なんだと申します。また、このままだと長生きできないとも申します。実は姑は姓名判断にこっていて、子供のよび名を変えれば健康になると申しまして、主人も母親の言うことですので反対もしていません。しかし、私は姓名判断など信用していませんし、せっかくの名前を変えるなんて反対です。姑と喧嘩もしたくないですし、穏便にすませたいとも思います。どうして姑を説得すればよいのでしょうか。

(大阪市・主婦・31歳)

答え

 あなたが姓名判断を信用しておられないということは、非常に精神が健康である証拠
です。大体、姓名で人を占うというのは、どこにその根拠があるのか不明です。

かなしきかなや道俗の
良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ
ト占祭祀つとめとす

と、親鸞聖人が御和讃で述べられています。ト占祭祀(ぼくせんざいし)というのが姓名判断などのうらないで、仏法を聞かぬ人に限って、そういうことに迷う、悲しいことだと歎いておられます。

 元首相の田中角栄さんにあやかって、田中さんという家が、出生した男の子に「角栄」とつけました。「角ちゃん、角ちゃん」と親しまれましたが、元首相がロッキード裁判にかけられるや、少年は学校で白眼視されるようになり、遂に家庭裁判所に改名の申し出をし、認められたということが新聞に出ていました。人の世というのは、たとえ良い名と思われるものであっても、悪い名と思われるものであっても、受けねばならぬものは、どうしても受けねばならない。それが因縁です。だから悪い名と思われるものであっても、健康で生涯を過ごしているし、良いと思われる名であっても、病弱で早死している人もあります。

 問題はお釈迦さまの仰せのように「他によってはならならない、自らに依って生きよ」ということです。他の人の判断や言葉に依っていたら、都合のよいときはそれでよいのですが、都合の悪いことがおこってくると、また、他の判断や意見に惑わされるようになってきます。しかし、そんなこといっても姑さんには、通じないでしょう。あなたの年齢から勘算すると、60歳前になるでしょうか。よい智恵を授けましよう。<この子が成長して、
「ボクの名前誰がつけてくれたの」「それはお姑さんが姓名判断に凝って、そのようにつけられたの」「ボクはお父さんやお母さんが、願いと愛情をこめてつけてくれた名と思っていたのに、そんな知りもせぬ人に、つけた名前変えてまでどうしてこんな名にしたの」と責めたとき、お姑さん、答えてやって下さいね>と下駄をあずけておいて下さい。お姑さんはおそらく答えられぬから、ふくれ顔しながら「それなら勝手におし、病気になって、
早死しても知らないよ」と捨てぜりふをいうか知れませんが、取り合わぬこと。

(松井慧光・「南御堂」もしもし相談室より)

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Last modified : 2014/12/09 6:17 by 第12組・澤田見(ホームページ部)