問い

 私の主人のことですが、今年が厄年にあたります。本人も私もさほど気にもしていませんが、私の実家の母は、厄年は何が起るかわからないから厄払いをしてもらった方がよいと申します。ご近所の方と話をしていましても、皆さん厄払いをしておくべきだとおっしゃいます。やはり何かした方がよいのでしょうか。また厄年というのはどういうことなのでしょうか、お教え下さい。

(寝屋川市 主婦38歳)

答え

 厄年というのは、古く中国に陰陽道(俗におんみょうどう)というのがあって、天文、暦数、卜筮(うらない)、方角、地相などに関する学問を司どり、それらによって人間のあらゆる行動を律するようになって、干支(えと)とか、鬼門、友引などと共に産み出されてきたものなのです。従ってそれらの禍からのがれるために、方違(かたたがえ)や物忌(ものいみ)によって、身を慎しむように説いています。しかし所詮は、人間の知恵から産み出されたもので、世をけがす外道というしかありません。

 厄年というのは男性は25歳と42歳、女性は19歳と33歳のことで、男の42歳と女の33歳を大厄といい、その前後の年を前厄後厄といっています。たしかに人間の身体には変調期とか、体質の変わる時期がありますから、充分注意することは大切ですが、外から禍がくるなどといっておびえることは愚かなことです。

 どのような年回りであっても、人間の一生はさまざまなことに出会って、業を果たしていかねばならないのです。都合の善いことは受けとるが、都合の悪いことは避けようとするのが人間の習いではありましても、因縁によって起こってくることは、年と関係なしに避けようがありません。

 親鸞聖人は

よきことも、あしきことも、業報にさしまかせて、ひとえに本願をたのみまいらす(歎異抄)

と仰せになりましたが、本願をたのんだ生き方、つまり救われた生き方というものは、善いことがおころうが悪いことがおころうが、御因縁さまと受けとり随順していくところに開かれてくる、といっておられるのです。

 人間はありもしない厄年などという、人間のつくったものに縛られおびえているのですが、せめては仏(覚者)のお言葉を聞いて、もしわざわいに出会ったとしても、かえって善かったと転じていける智慧を身に即(つ)けていきたいものです。

(松井慧光・「南御堂」もしもし相談室より)

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Last modified : 2014/12/09 6:17 by 第12組・澤田見(ホームページ部)