確かな方向を
いただいた
人生を
往生道という

たしかなほうこうを いただいた じんせいを おうじょうどうという

 「往生」ほど誤解されている言葉はない。「弁慶の立ち往生」や「往生しまっせ」というギャグがそれだ。浄土に生まれ仏となることが「死」に直結し、それが「困る」へと転化したのだろう。そもそも「往」の字には、目的地に向かって進んで行くという意味がある。往生とは、「浄土に生まれよ」との阿弥陀の呼び声に気づいて、目覚めの世界である浄土(彼岸)に向かって「往(ゆ)き生まれよう」との方向をいただいた人の生きざまである。決して行き詰まるのではない。曽我量深師は「往生とは希望をもって生きることだ」とも教えておられる。
 春。山川草木、生命が芽吹きだす。彼岸に向かい新しい「いのち」に生きる季節のスタートだ。

コメント 0件

情報をクッキーに保存する

Pocket

Last modified : 2014/12/11 6:52 by 第12組・澤田見(ホームページ部)