~ わかきとき 仏法は たしなめ ~蓮如上人 ~  

 「まだ、お寺に通うような歳ではないので」と、言う人がいる。裏を返せば、寺は年老いてから行く所、仏教は老人が聞くものというところであろうか。
 しかし、人間は老若にかかわらず、誰しも人生の日々に迷い悩みながら生きている。その根底にあるのは自らの立脚地、心の帰り場所の喪失である。換言すれば、確かな価値観、人生の物差しを見失うことである。その喪失、見失いの原因は、老病死という無常を受け止められない我々人間の無明の闇にある。
 それは決して老人だけの問題ではない。老若共に抱える人生の一大事だ。その生死(しょうじ)を超える道を示すのが仏教である。その仏の法こそ、彼岸として示される阿弥陀の浄土である。お彼岸の月、浄土からの呼びかけに耳を傾けたいもの。

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Last modified : 2014/12/12 11:42 by 第12組・澤田見(ホームページ部)