いずれの行もおよびがたき身なれば とても地獄は一定すみかぞかし ~『歎異抄』~ 

 親鸞聖人が晩年、京都におられた時、遠く関東から訪ねてきた門弟に、ご自身の心境を語られた言葉である。自分は仏道成就において、いずれの行も成し遂げれない存在で、まさに地獄を住み家をしているような身であると告白されている。それは、決して、あきらめや居直りといったことではない。人間存在の傲慢性が破れ、包み隠すことのできない、我が身の存在の事実に目覚めたお言葉である。
 先般亡くなられた寺田正勝師は『眞人』(眞人社発行)の中で、「この悲しい断定は、痛切であるけれどもそこには大きな安堵感がみなぎっている。身を固くし心をさいなんだものからの大らかな解放感がある。自覚とはそういうものではないか」と教えられている。

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Last modified : 2014/12/13 11:00 by 第12組・澤田見(ホームページ部)