第2組 聞法会「共に学ぶ『正信偈』」を開催

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2016年6月13日(月)午後2時から、行圓寺(竹内博明住職)において新田修巳先生(平野区正業寺住職)
をお招きして、第2組聞法会「共に学ぶ『正信偈』」が開催され、住職や寺族、門徒、推進員等32名が参加しました。

新田先生のお話は「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽」に触れて、龍樹大士(菩薩)が明らかにされた大乗の思想はすべての人々を漏らさず済度するという考え方であり、有無(生死)の見を破し歓喜を悟ったと。「一毛をもって百分となして、一分の毛をもって大海の水を分かち取るがごときは、二三渧の苦すでに滅せんがごとし。大海の水は余の未だ滅せざる者のごとし。二三渧のごとき心、大きに歓喜せん」(教行信証行巻p162)から大海の渧は南無阿弥陀仏であり法を歓喜する。その歓喜はやがて諸仏を念じ礼拝となり憶念となる。
病床の正岡子規に書簡を送った清澤満之が「如来を信じよ」と生老病死を受け止めていくことの出来る生き方を進言されたのである。正岡子規も「この親切なるかつ明鬯めいちょう平易なる手紙は甚だ余の心を獲えたものであつて、余の考も殆どこの手紙の中に尽つきて居る。」と共感した。奇しくも友人の夏目漱石の『吾輩は猫である』の猫の最後は南無阿弥陀仏であったという話をされながら、聞法においては聞思-思索-思惟でもって南無阿弥陀仏を信じ明らかにするのである。

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