前を訪う1 稲垣俊一さんに聞く

新しい教化体制が始まって三年目を迎えようとしています。そんな中、一度この時点で私たちが行ってきた教化活動を原点から振り返ってみるのも大事なことではないでしょうか。願いを持って教化にかかわってこられた諸先輩がたをお訪ねし、その思いをお聞きする新企画「前(さき)を訪う」。第一回は第17組德因寺前住職、稲垣俊一さんです。

教化委員会が生まれた意味

教化委員会は、同朋会運動発足以前にはなかったわけです。教区に教区会はもちろんありましたが、教化委員会ができたのが昭和42年。僕は52年に教化センターに勤めたので、その10年前ですね。これは非常に大事なことやったと思っています。教化委員会ができて所長は単なる事務官僚だけでなく、教化委員長になった。所長は宗門の官僚です。しかし、それだけではなく、教化の先頭に立てということだったと思います。

では教区会議員はどうか、教区の予算とかももちろん大事ですが、やはり教区に教化委員会を結成して、教化の一員であるということを認識する。もちろん組長もそうです。当然、教区全体が教化委員です。そういう意味が願いとしてあったと思いますね。

ほかにも同朋会運動が始まって次々、機構改革というか、教務所やら本山のあり方を変えていった。今ここに駐在さんがおられますけど、駐在教導を教区に置くというのもそうです。単なる事務官ではなく、駐在教導は教化の中心となって、毎日、教区中を回れということです。当時は教務所におったらあかんのやと言われてました。

布教から教導、教化という展開

それまでの布教が、教導という名前に変わりましたね。同朋会館教導、総会所教導、みんなそうです。これも教化委員会ができたのと同じ趣旨だと思います。この教導という名は、やはり指導者というような意味があるので、反対する人もたくさんありました。しかしこの教導という言葉、教えへと導くという中には、教化という意味があると思います。教えをまず聞いた人が、導くことができるわけです。聞いてないのにできませんわね。

そこで私が感動するのは、安田理深先生の「信心の信というのは信を得た人を教化する」というお言葉です。信を得ていない人に教化するのではなく、信を得た人を教化する。これはすごい言葉やと思います。信を得た人はいよいよ信をあきらかにし深めていく。それが教化という意味であって、教学者が非学者に教えるという、そういう意味ではない。

まず教化という意味を、しっかり受けとめなければいかんと思います。布教から教導、教化と、そういう展開はすばらしい意味があったんだと、今さら思っているようなことです。

教化センター主任に

当時は、私は42年から2年ほど同朋会館の常勤補導をやっていました。あとは臨時の嘱託補導をしました。あのころ同朋会館では奉仕団に対して、講師はええけど、補導の態度が悪いと問題になっていました。30代ではあかん、やっぱりいろんな経験をしてきた40代のほうがいいと、訓覇さんが探し回っていたそうです。そこで柘植闡英という、当時の研修部長が寺まで来て補導に来いと言われたのです。そんなん断られへやん。補導に来い言うんや。すごいな、訓覇さんは。今総長さんあっちこっち人を探し回ってるかな。やっぱり人を掘り起こさなあかん。

その後、52年に教化センターの主任になりました。教務所長が竹中素人さんから三浦了さんになるときに、どうしてもやってもらいたいと。なぜかというと、今までのセンターはシンクタンクだった。よいものを作っているし、よい先生も来られている。しかし、さらに同朋会運動の推進のための拠点、本部になってほしいと。

それで「何しまんねん」って言うたら、三浦さん、「新聞でも読んでてくれなはれ」って言うてはったけどね(笑)。しかし何もしないわけにいかんし、10年間の同朋会運動の点検総括したんです。『南御堂新聞』に10回にわたって執筆しました。

同朋会運動は、点検総括

同朋会運動は「純粋なる信仰運動」と言ったけど、真宗では信仰という言葉は普通あんまり使いません。信心は使うけどね。しかし信仰と言ったところにまた面白みがあって、一般的な言葉を使ったのです。一般の宗教でも使いますわ。それを使いながら、その上に純粋なるって書いてあります。

そして同朋会運動とは、点検総括なんです。これをしなかったら運動ではないんです。ただの教化事業になってしまう。運動という言葉も初めて使ったぐらいでしょう。真宗に運動があるのかと、今でも批判はあります。でも、この運動ということが大事なんです。

安田先生の言葉に「真実にふれるとき人間に運動がおこる。法に触れるとき機に自覚的回転が起こる」。そうそう。自覚的回転。まあ、安田先生は難しいけど、我々をえぐるような言葉で教えてくださっています。

主任を拝命してこう書きました。「自ら問い直すほかにないことを知らなければならない。自問していく動き、すなわちそういう信仰という作業だけが人間の生命を回復していく最後の手がかりになるに違いない」。

ここに「作業」と書いているように、教化センターは作業所なんです。点検総括の作業をする。いろんな人に来てもらってもやるし、組へ向かっても行く。センターは作業所だと考えていました。今はそんなこと考えないでしょ。教学の研究と人材養成とかでしょう。

公の立場で、自分たちで作業するということが、信心獲得なんです。個人ですが、場が与えられていく。みんなのところへ顔を出して自分の意見を述べる。自問自答する。そういう作業所への変革を考えました。

公開の広場に立つ

『自信教人信』は、一般的な読み方は「自ら信じ、人をして信ぜしむ」です。しかし親鸞聖人は、「自ら信じ、人を教えて信ぜしむ」と読まれる。聖人には教化者意識は無かったことがうかがえます。教化者意識はなかったけども、教えへと導く教化という強い願いを持っておられたと思うんです。自信やからこそ教化があるわけで。信を得た人が、ますます教化に入っていくと。そうでないと教化なんか誰もしませんし、できませんやん。信心に触れないと。信仰運動というのはまず信心獲得ですわね。

また安田先生は「信心獲得というは、人間を開くものである」とおっしゃっています。今までは自分にこもっておったけども、公開の広場に立つことである。個人というところにおらんわけです。公の場所に、いわば社会におる人です。

個人の中の、あるいは一ヶ寺の中のというような、そんなことは信心獲得と言わんのやと。公の広場にまかり出るということが信心。そういう信心を深めていくことが教化だと、そうおっしゃっているのです。これを聞いたときは感動して寝られないくらいでしたね。

公開の広場に立つ信心ということを、私たちははっきりしていたか。なんで本山あんねん、教区あんねんってね、広場のひとつですよ。組もそうですし、寺もそう。自分を広場に開いていくこと、こんな幸せなことはないわけです。こうしたすばらしい教化を言ったのが、純粋なる信仰運動という同朋会運動やったんです。

そやから新しいことをやろうとか、そんなことやないんです。人間はどうあるかということを回復する。信の回復は人間回復やと思うんです。

新しい空間を開く“信”

清沢先生の有名な言葉に「大谷派なる宗門はいずこにありや。大谷派なる宗門は、大谷派なる宗教的精神の存する所に在り」とあるでしょう。あるいは「自己の信念の確立の上に、其信仰を他に伝える、即ち自信教人信の誠を尽すべき人物を養成する」。そういう有名な言葉がありますでしょう。

西谷啓治先生は『清沢先生と哲学』で、清沢先生の教学を「三国に渉る仏教の長い歴史の上からみても、一つの画期的な出来事であった」と評価されます。清沢先生の教学や浩々洞を画期的なことだったといわれています。なぜ画期的かというと、「画期的ということは滅びに向かって行き詰まりつつあるものが、未来にいきる可能性を見出し得るような、また過去に於ける全歴史を再び伝統として蘇らせ得るような、新しい空間を開くということである」と言われています。

今ね、仏教が滅びていくと。滅びに向かって行き詰まりつつあるものが、未来に生きる可能性を見出し得るような、過去の全歴史を再び伝統として蘇らせる新しい空間を開いた。その新しい空間が大谷派という宗門なんです。それをなんと表現するか。さっきは広場と言いましたが、新しい空間と言ってもいい。この清沢先生の精神によって、大谷派、教区、そして組を新しい空間として蘇らせていく、新しい空間として開いていく。

寺が大きいとか小さいとか、新しいとか古いとか、門徒が多いとか少ないとか……。一万の寺、三万の僧侶があっても、百万の門徒があっても、大谷派なる宗門と言えるのか。大谷派なる宗門は、大谷派なる宗教的精神のところに存すると言われるのです。

では大谷派なる宗教的精神とは何か。浩々洞では暁烏敏他、みんな一人ひとり、それぞれが部屋にこもって違う勉強していたそうです。そして夜になると、みんなで勉強会。そして日曜は日曜講演に出かけた。そこから今の「三帰依文斉唱」が生まれています。そこには浩々洞という広場があった。私らには大谷派という場所がある。しかし、素晴らしい時と場所がもっとあったらいい。同朋会運動の原点には浩々洞があるのです。

近代教学

当時も清沢先生の教学に対するアレルギーはもちろんありました。今の大阪教区にもあるでしょう。そこで大阪教区の有志で「無量塾」という塾を立ち上げて『自己とはなんぞや ―大谷派なる宗教的精神―』という寺川俊昭先生講述の本を出版しました。そこで、先生ははっきりと封建教学と近代教学は違うと、どちらをとるんですかとおっしゃっています。近代の教学は今までの真宗の歴史を、本当の伝統として蘇らせ得るものとしてあると思います。我々は既成仏教ですから新宗教と違って、今までの古い伝統があります。それには問題もあります。その悪いところだけを取って捨てるわけにはいかないのです。その上に成り立つわけですから。古い伝統を批判してるのではなくて、本当の伝統を回復させていきたいということです。

第1回目の『しんこう運動』の〈1〉にね、「畑は、その土穣がどれほどよくても、耕作なくしては、みのり豊かであることはできない。心も亦教えDoctorina(教義)なくしては、同様である」。キケロの言葉です。古代の昔から、ちゃんと言うています。先ほどは作業と言いましたが、耕作でもいいんです。耕作なくして実り無し。当たり前のことを釈尊以来やってきたんです。

真宗教化のグランドデザイン

新たな教化委員会の策定の資料を読ませてもらって、大仕事だった思います。課題の共有、情報の共有といった、大事なことがいろいろ書かれています。今後の課題としては誰と共有していくのか。口で言うのは簡単ですが、なかなか現場は難しい。机上でつながっていても、現場では全然つながってないといういことはいくらでもあります。

新教化体制を見る中で、想像ですが、連携ということが難しいと思います。そこで議論する広場、これを具体的にすべきだと思います。私は常々、真宗教化のグランドデザインを作成する委員会が必要だという提案をしています。やっぱりあちこちに任しておくんじゃなくて、教区全体が連携して、一つに大きく包んでいく、そういう教化委員会でなくてはいかんと思います。

それと、現代ということを視野にいれて欲しいと思います。やっぱり地球汚染など世界的な課題が問われる現代にあっては、人類の生存についてグランドデザインしていくような視点が欲しい。

同朋会運動には現代の課題に応えていくという意味が、あったに違いありません。現代の課題に挑戦するという意気込みが欲しい。同朋会運動発足当初、そのへんにものすごく熱を入れたんです。でもまだ燃え上がっていない。もうちょっと体温上げてもらいたいです。

なぜならば共通の課題が見いだせていないからです。大阪いうたらコレや、大谷派とゆうたらコレやという課題です。そしてその課題を克服していくようなグランドデザイン、グランドテーマが必要だと思っています。

昨日、「お寺やったら出すけど教区や本山や別院にお金よう出しませんよ」ってご門徒に言われました。それに対して、本願寺はこんなんでんねんと。新しい空間のためなんです。世界的視野で、新しい地表を開くためですと。ちょっと大げさやけど。「ああそうでっかぁ!」と言わせるようなものが欲しいですね。

資本主義社会における同朋会運動

教化センターで主任を務めていた時、教化ゼミナールで「二河譬」を児玉暁洋先生にお願いして学びました。求道心といういことを課題にしたのです。

もう一つは高木宏夫先生に来ていただいて、「資本主義社会における同朋会運動」というテーマで講義していただいた。これが今取り組まれていないと思います。これが現代に立つということなんです。これを研究してる人はほとんどないのではないでしょうか。これをやって欲しいんですわ。今は資本主義社会の中に生きてるのです。

今までお寺さんと言われて一国一城の主だった。しかしそれでは通らん世界になってきた。葬式しない、墓もいらない、もう坊主いらないとなってきてますでしょう。

いわゆる労働に対する対価、売り手と買い手の中にいるのです。いやぁ、わしゃそんなこと関係はない、そんなことでは誰も頷きません。こっちは売っている意識はないけど、それに対して買うという意識でしょう。資本主義社会のなかで、お寺さんと付き合ってくださっとる。こっちだけが知らんふりして、裸の王様です(笑)。

今、宗教も葬儀も商品化されたといっています。現代は商品にならないものは誰も買いません。私たちはバカにしがちですが、資本主義の中では大事なことです。我々も労働者として扱われている。

ただ、労働者だけれども新しい広場としての僧伽をどうやって作るのか。新しい方法で作るのもなかなか難しい。それで、たまたまお寺がありますんで、そこと切り離さずに作る道はないかと。そうすると、やっぱり経済もやらなきゃならない。経営ということをする新しい僧侶にならないといけない。そこの苦労は、それぞれがせなあかん。そしてそれを宗門がどう応援するのかが課題です。

いま、宗派で社会福祉施設を作るっていう話しがあるけど、僕は良いと思う。けれど本願寺だけの社会福祉施設ではなくて、各お寺と連携できるような医師や看護師を養成していく施設だったらいいと思います。

いろいろな仕事との両立ということも、ひとつ考えたらええ。もし仕事があるんならそこも教化の場所。見たら分かります。同じ人でも信心を持っておられる人とそうでない人、自ずから感じるところがある。

また、環境の問題ね。これを触らずにしてこれから運動できますか。環境が問われる現代でしょう。やっぱりこれだけ雨降ったり、地震あったり、もうじき大阪40度になるとかね。人口が100億超えたら、食べもんが無くなるらしいね。今、人類の生存ということが大きな課題です。

そのような共通の課題を教区教化委員会、教化センター、別院が取り組む。別々でもええから、グランドテーマを納得してもらう。「解放」も大テーマですよ。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」、人の世の闇を照らす人間の宣言です。

グランドテーマがないんでない、ありまっせ。お釈迦様がおられた空間(世界)もある。親鸞聖人がおられた空間(世界)もある。空間(世界)を作るために、具体的にわかるような言葉で言えるか。言葉がないっていう事は何もないゆうことや。

我、我を憂う

お経には「如是我聞」とありますでしょう。同朋会運動のテキストになった『現代の聖典』の意訳には、「わたくしたちの身に、今もいきいきと聞こえる仏の説法を、新しく生活の事実の上に聞き開いてゆきたいと存じます」とあります。これに感動したのです。今でも古い第一版を大切に持っています。「我聞」の訳が「わたくしたちの身に」ですよ。我一人やと思ってたら、わたくしたちの、しかも身です。しかも三千年昔やのに、「今もいきいきと聞こえる」。聞こえるだけやなくて、新しく生活の事実、現代に聞き開いて行く。聞き開くのは教化ですよね。凄いことを言うてるんです。

もう一つだけ言うと、今の僕が提案したい教化カリキュラムは、新しい『現代の聖典』を作ることです。親鸞聖人の時代でも『教行信証』が現代の聖典だったのでしょう。お釈迦さんの仏説もそうです。あれも、その時代の今なんです。だから『現代の聖典』を作るという大きな目標ぐらいは持ってもらいたいです。そのためには、「我、教団を憂う」ではなく、「我、我を憂う」ということが、原動力なのでしょう。

(しゃらりん35号2019/6発行・文責:しゃらりん編集部)

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Last modified : 2019/07/01 9:38 by 第12組・澤田見(組通信員)