問い

お仏壇の中にお札やお守り、故人の写真を、入れてはいけませんか。
又、位牌(いはい)や過去帳(かこちょう)は、どのように扱いますか。

答え

 お内仏(ないぶつ(仏壇))は、お浄土の相(すがた)を表現したものですから、きらびやかな中にも整然とした調和が保たれ、厳粛さがなくてはなりません。従って約束にのっとり、すっきりとしたお荘厳(しょうごん)が望ましいわけです。

◎故人の写真は、亡き人を偲び、懐かしむのには大切なものですが、しかし故人に深い思いを寄せるあまり、いつまでもその思いに執われ、本当に大切なものを見落すことになりかねません。本当に大切なものとは、阿弥陀仏のお心(本願(ほんがん))です。
 先立たれた先祖は、残された私達に願いをかけておられるのです。健康であってほしい、家内仲よくしてほしい等、いろいろな願いが思われますが、その先祖の願いの完全に純化されたものが阿弥陀仏の本願だと、釈尊は教えておられます。
 とすれば、私達が写真を前にして思う故人よりも、もっと確かな先祖が南無阿弥陀仏となって私と対面しておって下さるのです。従って、本尊(南無阿弥陀仏)に向って「南無阿弥陀仏」と称えつつ、阿弥陀仏の本願を憶念(おくねん)することを、先祖も心から願っていて下さるに違いありません。

◎お札やお守りは、お内仏に入れてはいけません。阿弥陀仏のお心に触れ、御先祖の励ましが実感できれば、それ以外に何に頼る必要もなく、むしろお札やお守りを頼る心は、「一向(いっこう)に弥陀たのめ」という阿弥陀仏のお心に背く迷い心であります。

◎位牌は、死者の戒名(かいみょう)を書いた札です。真宗には戒名はありません。
 又「位」とは上下関係を表わす言葉です。上下関係に執われて苦しんでいる私達の救いは、平等の地平に立つことです。死んでからまで上下に差別されては助かりません。真宗は「浄土真宗」といわれるように、平等の世界(浄土)を願う人間の生き方を教えています。
 共に平等真実なる浄土を願う仏弟子として、釈尊の教えに生きますという名告(なの)りが、真宗の法名(ほうみょう)です。

◎過去帳と一般に言いますが、「法名記(ほうみょうき)」と言うのが適当と思います。正式には掛軸にしてお年忌(ねんき)や命日にだけお内仏の側面に掛け、常は巻いてしまっておきます。また過去帳を常時安置しておく場合は、お内仏の上段や正面には置かず、下段に置くようにします。

 要するに、私達は先祖を拝むのではなく、先祖の願いを聞きつつ南無阿弥陀仏の仏様に出遇わせていただくのです。そこに御先祖から私へ願いがかけられているのです。

(本多惠/教化センター通信)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)