問い

葬儀は、友引の日を避けるのはなぜですか。 又、中陰(ちゅういん)は三ケ月にわたってはいけませんか。

答え

 葬儀に友引の日を避けるのは、何の根拠もない迷信です。身近かにある国語辞典、百科辞典を見ても「俗信」だとしています。もとは、中国の陰陽道(おんようどう)の思想で、六曜(ろくよう)とか六輝(ろっき)(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)といわれ、これが循環するという考えにもとづいて、吉凶を占ったのです。旧暦の一月一日を先勝、二月一日を友引、三月一日を先負として順に機械的に並べたもので、友引という字そのものに、「友を引く」という意味はありません。中国では、友引は先勝と先負の中間であって「相い引きあって勝負なし」といい、物言に勝負のつかない日としたのです。それが日本に伝えられて「友を引く」という意味に変ったものです。日本に伝えられ暦注(れきちゅう)(暦に記入される事項)としては、きわめて新しく江戸時代中期のことです。しかし今日でも、他の暦注は除いても六曜を記載しない暦は需要がないといわれるほど普及してしまっています。

 誕生と結婚と葬儀は人生の大きな出来事です。人間にとって誕生日と死ぬ日を選べないのに、なぜ結婚式と葬儀の日を選ぶのでしょうか。

 儀式の日程を選ぶのは結構ですが、その動機と根拠が問題です。「友引」は友を引き、死人が続くから葬儀を避けるとか、友引の日にするなら人形を身がわりに入れるとかは、全くナンセンスです。日を選ぶ動機は、日に良い日と悪い日とがあると考える実体観念に振り回されて、自己の確かな生の根拠(浄土)を失っている、存在そのものの不安を露わしているのでしょう。

 縁起が悪いといいますが、縁起とは仏教語で、正しい道理のことをいうのです。縁起がわかれば、正しい道理(私達ではお念仏の道理)に立脚して、安心して自由に明るく、自信を持って生きることが出来るのです。

 中陰が三ケ月にわたると「四十九が三月」で、「始終(しじゅう)(いつも)苦労(くろう)が身(み)につく」というゴロ合せから、避けた方がよいとなったのです。これも全くナンセンスな発想で、根拠のない迷いごとです。

 要は、その人が何を根拠として生きているかということです。それが、日を選ぶ根拠になります。真実の宗教は、根拠のない人間の勝手な考え(妄見(もうけん))に執われている迷いのあり方に気づかしめ、それを破ることによって真実の人間の主体性を取りもどさしめるものです。愚かな迷信に惑わされることなく、正しい根拠(教え)に拠って自信をもって生きたいものです。

(本多惠/教化センター通信)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)