
ただ すぎにすぎるもの
今年の夏は、むし暑い日がずいぶん長い間続きました。
11月になりましても例年になく暖かい日が続いていましたが、暑い、暖かいと言いながらも、季節はじわじわと移り変わっていきます。木枯らし1号、また寒い寒いと言わなければならない季節がめぐって来ました。
平安時代、清少納言は『枕草子』の中に「ただ すぎにすぎるもの。帆かけ舟。人の齢。春、夏、秋、冬。」と書いています。帆かけ舟は、その当時では早いものの代表だったのでしょう。
それと人の年齢、若いと思っていたのに、あっという間に年をとり、今の年になってしまいました。「30までは普通列車。40までは準急列車。50までは急行列車。60すぎれば超特急。」と言われる通りです。
春夏秋冬のめぐりも早いもの、1年くらいあっという間に過ぎてしまいます。
蓮如上人も
「それ秋も去り春も去りて、年月を送ること、昨日も過ぎ今日も過ぐ。いつのまにかは年老のつもるらんともおぼえずしらざりき。……ただいたづらに明かし、いたづらに暮して、老の白髪となりはてぬる身のありさまこそかなしけれ。」
と概嘆されています。
どのように科学や技術が進んでも、大自然の動きを勝手に操作することも、逆らうこともできません。
そこへもって来て、政治、経済、文化、社会が世界的にもめまぐるしく変化しています。その変化に、とてもついて行けそうにもありません。
私の身のまわりを含めて、この世の中、まさにまさかの連続、一寸先は闇、無常の世の中で、万事「わが計らいにてはあらず」、であり、このような中で存在するわが身に気づかされることであります。
このように移り変わっていくものの中で、変わらないものは一体何でありましょうか。 私たちは真理は古今不変のものであると言います。そして古来、私たちは生死の間にさ迷うとも言われています。生死の間でさ迷う姿は、私たちのこの世の姿であること、これまた真実でなければなりません。
ああもしたい、こうもしたい、こうありたいと思い、文字通りあくせくして、日々を送り、死に近づいて行くのです。これを迷いの世界というのですが、この迷いをなくすことはできません。迷いの世界はそれを迷いと気づくことによって真実の世界へ眼を開くご縁としたいものです。
人間の計らいを超えて人を人たらしめているはたらき(如来の本願力)に目覚めること、仏教は、生死に迷うこの世の中から真実の世界に目覚めることを教えているのであります。
(平成11・11・20)
Last modified : 2014/12/10 3:21 by 第12組・澤田見(ホームページ部)