
願いをかけられている
『今現在説法』、阿彌陀如来は今、現に法を説いておられます。真実にめざめよと手をさしのべてくださっています。
「われわれは
知らなくても
仏に願いをかけられ
望みをかけられている」(曽我量深師)
もったいないことです。このことに全く気が付かず、来る日も来る日も、ブツブツ、ブツブツ、文句や愚痴ばかり、あれやこれやと右往左往しているのが今のこの私。
仏さまは、ええ格好しいの、欲ぼけの、うさんくさい私に対してさえ常に願いをかけていただいていることに気がつきませんでした。
今までの長い人生、自分ひとりでがんばってきた、苦労してきたと思っていましたが、自分ひとりの力でなかったことに気がついたのです。
同 行 二 人
「シドロ モドロ
私があるいた足あと
よく見ると
この足あとのなかに
もう一つの 足あとがあった」(榎本栄一氏)
うかつなことながら、このことに気付かせてもらったことは、本当にありがたいことでした。
今日、私のあるのも、眼の見えないところで、私を見てくださっている方があり、私を照らしてくださっている方がいらっしゃるからです。さらに、無数のご縁をいただき、天地自然を始め、ずいぶん多くの人たちのお世話になっています。
仏さまの前では、殊勝な顔をして合掌礼拝しているつもりの私のほうが、むしろ拝まれている。願いをかけられ、望みをかけられているのです。
それにもかかわらず、なまぐさい、血の気の多いこの身体、今日も、性懲りもなく六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の世界を輪廻(りんね)している〈彷徨(さまよ)っている〉のです。
「大悲の風 わかりにくいが
私のあさましさに 合掌したら
どこからともなく 吹いてくる」 (榎本栄一氏)
(平成元・3・21)
Last modified : 2014/12/10 3:18 by 第12組・澤田見(ホームページ部)