
「仰げば尊し」
1.あおげば とうとし、わが師の恩。
教(おしえ)の庭にも、はや いくとせ。
おもえば いと疾(い)し、このとし月。
今こそ わかれめ、いざさらば。
2.互いにむつみし、日ごろの恩。
わかるる後にも、やよ わするな。
身をたて 名をあげ、やよ はげめよ。
いまこそ わかれめ、いざさらば。
3.朝ゆう なれにし、まなびの窓。
ほたるのともし火、つむ白雪。
わするる まぞなき、ゆくとし月。
今こそ わかれめ、いざさらば。 -『小学唱歌集(三)』明治17・3-
「仰げば尊し」や「蛍の光」はいつの間にか、学校の卒業式に歌われなくなり、「贈る言葉」や「呼びかけのことば」などに変わって来ました。
この前、ご縁があって東大谷高等学校の卒業式に出席させてもらいましたが、式次第の裏に「仰げば尊し」の歌詞が印刷してあり、式の終わりに全員で斉唱していたのには深い感銘を受けました。
NHKの、前の連続テレビ小説「さくら」で、主人公のさくら先生がハワイに帰る時に、生徒たちに対してお別れに「仰げば尊し」を歌う場面があり、久しぶりになつかしい歌を聞きました。さくら先生は、生徒の皆さんにいろいろ教えてもらいました。生徒の皆さんたちが先生だという思いで歌ったようでした。教えることは教わることなのです。
「仰げば尊し」とは南無阿弥陀仏。「仰げば」とは南無。「尊し」とは阿弥陀仏だと、以前に故織田昭爾師が書いておられました。仰ぐということは、自分を最低の低い位置において、下から上を見あげること。上から見おろしたら、あれもこれも見ばえがしない、こんなものかと皆つまらんように見える。下から見あげると、すべてのもの、すべての人は皆尊いもの、尊い人といただける。
日本三景の一つといわれる「天の橋立」。期待してケーブルに乗ってそばまで行きます。ずうっと上から眺めると、「何や、これが天の橋立か」と、あまりパッとしません。
ところが、横のほうに股のぞき台があって、皆、その台の上にあがって股のぞきをしています。「天の橋立」は、股のぞきで有名です。さっそく台にのぼって股のぞきをしてみます。ところがどうでしょう。「絶景かな、絶景かな」、同じ景色ですが、こちらの眺める位置が変わると、その途端にすばらしい景色に変わります。
上から下を眺めると、「何や、こんなものか」。頭を股に突っ込んで眺めると、すばらしい。これこそ南無阿弥陀仏です。
ふだん、文句や愚痴を言っている憎たらしいと思っている相手も、腹の立つ相手も、一度股のぞきで見てみたらどうでしょう。おそらく、もったいないくらいのすばらしい相手に変身するのではないでしょうか。
Last modified : 2014/12/10 3:18 by 第12組・澤田見(ホームページ部)