ボケ
「帰命無量寿如来」

 相撲協会の元理事長だった若の花の現役時代のことです。

 幼い子息が急に亡くなりました。早速、お弟子さんたちが近くのお寺へ行って、お坊さんを呼んで来て、枕経をあげてもらいました。

 聞いていた若の花、

 「うちは、『帰命無量寿如来』だ。これは違う。」

ということで、浄土真宗のお寺を探して、無事、葬儀告別式を済まされたという話を、以前何かで読んだことがあります。

 そう言えば、伊奈教雄師の『風ふたたび』に書いてあったことを思い出します。

 そこで、古い話を一つ。

ある家で、お嫁さんをむかえるにあたり、仲人に、色々嫁になる嫁さんの事を尋ねて貰(もら)った。一方婿になる方のお父さんは、ひそかに夕方娘さんの家の周囲をそれとなくうかがってみた。家はあまり立派ではなかったが、夕方のお勤(つとめ)がはじまるとみえて、お輪(りん)の音がして家中から、タベの勤行の声が聞こえて来た。

 「これなら大丈夫、念仏のある家に育った娘なら不足はない」と安心して息子の嫁にむかえた。仏様中心の家は筋がとおり正直で嘘を言わないのではないかと思ったからである。」

というのです。

 ところで、「家を新築したので仏壇を求めたいが、何もない時に仏壇を買ったら死人が出ると言うが、本当でしょうか」というお尋ねをよく耳にします。

 これは、とんでもない間違いです。仏壇を買うことと、死人が出るということとの因果関係は全くありません。仏壇を買わなくても時がくれば死人は出ます。「何もない時に仏壇を買ったら死人が出る」とよく言われますが、おそらく仏壇の意味を知らないからそのように言うのでしょう。仏壇、正しくはお内仏(ないぶつ)と言いますが、文字通り家にお迎えした仏さまを安置する場所です。

 浄土真宗では、アミダ仏をご本尊としてお内仏(仏壇)の正面中央に安置します。ご本尊とは「私たちのいのちの故郷とも言われる無限のいのちの本当に尊い存在」という意味です.家庭生活をするなかで精神生活の中心となるものがご本尊です。

 真宗門徒の多い地方では、分家して新しい所帯を持つと、親は必ず本尊を安置したお内仏(仏壇)を用意して与えたものです。一家の中心をささえている柱を大黒柱というように、一家庭の精神(心)をささえるのがご本尊です。

 その意味では一家庭の心を結ぶ「要」(かなめ)です。扇子にも「要」があります。多くの竹骨を一点でキチッと結んでいるのが「要」です。「要」さえキチッと結ばれておれば、多少紙が破れていても扇子の役目は立派に果たします。しかし、どれほど見た目に美しい扇子であっても、「要」がバラバラでは扇子の役目は果たせません。

 家庭に本尊がないのは、「要」のない扇子のようなものです近年、核家族化が急激に進んでいますが、どの家庭にも一日も早くご本尊をお迎えするお内仏(仏壇)を求めて、朝夕手を合わせて御礼を言うことのできる家庭生活の中心を定めることが大切でしよう。

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Last modified : 2014/12/10 3:18 by 第12組・澤田見(ホームページ部)