花菖蒲
わがいのちの深さ

 「先祖といえど一、二代。子孫といえど一、二代」と言われますが、この私を中心にして、先祖と言っても自分たちの両親、そしておじいさん、おばあさん、(ひいじいさん、ひいばあさん)くらいしかわかりません。また、子孫と言っても、自分たちの子ども、孫、(曾孫)くらいで、そのあとはわかりようがありません。

 そのように、極めて限られた意味での先祖、子孫となっています。

 ところが、勘定してみますと、私から二代前で4人、 三代前で8人のご先祖がおられます。このように遡(さかのぼ)っていきますと、七代前で128人、十代前で1,024人、何百年か昔の二十代前になりますと、何と1,048,576人のご先祖さまがおられることになって来ます。その中の一人でも欠けると、今の私はなかったことになります。

 これが、五十代、六十代前になりますと、それこそ途轍(とてつ)もない「いのち」のご先祖の数になります。

 そのご先祖のいのちが私たちのいのちの中に生きて、流れて、働いてくださっています。それが今、私たちが生きているということなのです。生きているというよりも、生かさせていただいているのが私たちのお互いの本当の姿なのです。

 私たちは、ご先祖を想う時、果たしてこのように無数ともいえるご先祖のことを憶念しているでしょうか。

 「祖先を想う心は、わがいのちの深さを想う心である」といわれますが、私たちは、家のご先祖に感謝することを通して、いのちのご先祖に目覚めていきたいものです。

 『歎異抄』にも

「一切の有情(生きとし生けるもの)は、みなもって世々生々(長い世をかけて)の父母兄弟なり」

と説かれています。

(平成4・8・15)

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Last modified : 2014/12/10 3:20 by 第12組・澤田見(ホームページ部)