芍薬
六道を輪廻(りんね)

 私の一日をふり返ってみますと喜怒哀楽の連続、まさに百面相です。思うようになると喜ぶ、ならないと腹を立てる、文句を言う。愚痴が出る、あきらめる。人を恨んでみたり、うらやましく思ったり、時には有頂天になることもありますが長続きしません。食べること、寝ることは忘れません。その上、一日一日があっという間に過ぎていきます。昔の歌に、「人生50年。25年は寝て暮らす、残り半分は飯食うて、損だ得だと愚痴言うて人生ついにゼロとなる」というのがあります。

 人生80年の時代になりましたが、このような毎日を過ごして、年をとっていきます。私はこれでよいのか、私は一体どこへ行くのでしょうか。

 「(衆生は)六道に輪廻せり」(『教行信証』行巻)と教えられています。自分の思う通りにならないからといって腹を立てて地獄に落ちる。自分の気にいったものが手に入ると「まだほしい、ほしい」「まだ足らん」で餓鬼道の世界に落ち込む。「まあ、食うことにゃ心配いらんから、まあこんで楽なこっちゃ」とさまよっているのが畜生の世界です。いがみ合うのが修羅。他人の身になったかと思うと、いつの間にか「コンチクショウ」と他人を恨んでみたりするのが人間の世界。自分の思い通りにいって有頂天になっているのが天上界。しかし「天人にも五衰(ごすい)のあるものを」で、いつまでも天上界にいることはできません、転落してしまいます。

「忙しい、忙しい」「しんどい、疲れた」と言って六道を経めぐって、こここそ、私のいる場所でしたという立脚地を持たないのがこの私です。見通しのない生き様を「三途の黒闇」と言われるのです。

 このような私ですが、聞法に心を傾け、念仏申す身となる時、如来大悲の惓(う)むことなく常に我が身を照らし給う浄土(限りない光の世界、生き生きとした生命の躍動する世界)の光に摂め取られるのです。

 その光は、「三途の黒闇」に沈む私たちに、生きる確かな方向を照らし出し、生き生きと生きる意味を実感せしめてくれるに違いありません。

(平成7・8・10)

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Last modified : 2014/12/10 3:20 by 第12組・澤田見(ホームページ部)