椿
やさしい心が人の心を動かしていく

 ある夏、お盆の三が日、お参りが多いところへ初盆のお宅が重なりました。

 電話をする時間もなく、汗だくになって、二、三十分遅れてAさんの家へお参りしました、「遅うなりました」と行くと、入口でそこの主人が、「なんでこんなに遅いねん。ええ加減しとけや。あんたの都合もあるか知らんが、こっちもみんな待ってんねん」とけんもほろろの対応、砂を噛むような味気ない気分でした。

 もう一軒、Bさんの家も初盆、ここも予定の時間よりも遅れてしまいました。「遅うなってしまいました」と言うと、「お盆で忙しいのにすんませんな、みんなお待ちしていました」、ほっと救われた、頭の下がる思いがしました。

 私だったら、どちらの態度をとるだろうかとふと思われたことでした。

 だんだん寒くなって来ると、太陽の暖かい陽ざしがありがたく感じられます。イソップの「北風と太陽」の話を思い出します。旅人の着ている服を脱がせようと、北風は烈しく風を吹きつけますが、旅人は余計に着物を着込みました。ところが、太陽が暖かい陽ざしをふり注ぐと、旅人は一枚二枚と上着を脱いでいきます。

 7月20日は、学校の第一学期の終業式ですが、当日お参りするお宅で、10時までに参ってほしいとおっしゃる。後から聞いてみると小学校2年生のお嬢さんが、二、三日前からお多福風で休んでいて、当日も学校へ行けません。お母さんに、10時に学校へ通知票をとりに来るようにということなのです。私は、これを聞いてさびしい気持ちがしました。なぜ、ちょっと時間をさいて、家庭訪問をし、病気の様子も聞き、通知票を手渡し、夏休みの行事や心得なども話してあげなかったのかと。

 あたたかさ、やさしさ、思いやりの心が、人の心を動かしていくのではないかと思われます。

 これも、ひとえに生きとし生けるもの、如来より賜わった平等ないのちを尊敬し合って、如来の大悲に包まれて、共に生き合いたいということではないでしょうか。

 何事も自分本位で、自分が正しいと思っている私、そんな姿にも気づかない私、迷いの私であることに気づかせていただき、共に一つの世界に生き合いましょうというのがとりもなおさず浄土真宗の教えでもあるのです。

(平成6・12・9) 

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Last modified : 2014/12/10 14:23 by 第12組・澤田見(ホームページ部)