万年青
善人は暗い顔をしている

 曽我量深先生が、ある日あるところで、「善人は暗い顔をしている。悪人は明るい顔をしている」と話されたそうです。聞いていたほとんどの人は、先生も年をとられたので言い間違いをされたのではないかと思ったようです。

 「善人は明るい顔をしている。悪人は暗い顔をしている」というならわかりますが、これは一体どういうことなのでしょうか。

 たとえば、嫁姑のトラブルは日常よく聞く話ですが、ある家のことです。その家の姑は、「私は今どきの若い嫁の気持ちはよくわかっているんです」と言います。わかっていたらうまくいくはずなのに。ところがその姑の顔は暗いのです。「私は嫁の気持ちを理解しています」とは、まさしく善人の立場なのです。

 一方、嫁は嫁で、「私は姑さんの気持ちはよくわかっています」と言っています。ところがやはり、嫁の顔もまったく暗いのです。嫁も姑も善人の立場です。

 善人というのは、りっぱな、善い人間というのではなく、仏になるために自分のカにたよって善行にはげんでいる人、自分を善いと思っている人のことなのです。

 「私は今どきの嫁の気持ちはなかなか理解できません」「私はお年寄りの気持ちはなかなか理解できません」お互いに理解できませんというところに立って、始めて理解が成り立つのではないでしょうか。先輩の先生から、「今ごろの教育を受けた者が、爪に火をともすような、質素な暮らしをしてきた年寄りの気持ちがわかるはずがないではありませんか」と言われて、だまって聞いていた嫁は、しばらくしてにこりと笑いました。

 「まあそうですね」

 嫁の心が開かれてきました。同時に暗かった顔が明るくなってきました。

 といっても、嫁に私は罪悪深重の凡夫だというような自覚が起こったのではないでしょうが、私はやはり姑の心を理解していなかったのだと、自分の間違いに気がついたことだけは確かなようです。すると、顔は明るくなってきます。

 悪人とは、必ずしも泥棒や人殺しなどをするようないわゆる悪人のことではなく、仏となるためのどのような善行も積めず、自分のあり方を悪しと恥じて悲しんでいる人のことなのです。

 ひとに物をあげるような場合も、折角気をつかって物をあげたのに道で会ってもお礼も言わん、お返しも知らん顔と言っている間はいわば善人の立場で顔も暗いのです。

 しかし、私のようなものの、心ばかりの物をもらっていただいてよかった、ありがとうというのが悪人の立場で顔も明るいのです。

(平成10・2・9)

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Last modified : 2014/12/10 3:22 by 第12組・澤田見(ホームページ部)