あんず
「なせば成る」と真宗の教え

 毎月一回程度、難波別院(南御堂)主催の大阪府下の老人ホームへの巡回法話に行かせてもらって三年目になります。

 あちらこちらへ行かせてもらっていますが、質問の出ることはあまりありません。

 以前に、ある女性から「『和顔愛語』(わげんあいご)という言葉は、どの経典に出ていますか」という質問がありました。

 この前はある老人ホームで、法話の終わった後、七十年輩の恰幅(かっぷく)のよい男の方が手をあげられ、次のような質問をされました。

 「『なせば成る』と言われますが、これは仏教の教えから言うとどういうことになりますか」といった内容でした。

 「なせばなる」は、「なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」(『為学玉箒』)と続きますが、努力勉励を教える道歌の代表的な歌として知られています。

 それにしても、この質問は、真宗の教えの基本とも言われる自力、他力に問わる大事な問題で、本当によい質問でありがたいことでした。

 難波別院発行の本多 恵師の『いのちのことば―南御堂掲示板から―』の中の、「鬼は外 福は内 私の身勝手が豆をまく」に「人はみんな幸福を求めて生きている。地位・財産・名誉、そして健康・美ぼう・体力という名の幸福をかぎりなく求めて、止まることを知らない。そのための精進努力する感情は三分の一、あとの三分の二は、ただ待つだけ。内訳は、他人の失敗と幸福の女神の微笑。(後略)」と述べられているのを思い出しましたが、私は、当日、次のようにお答えしました。

 「真宗の教えをいただく立場からお答え申し上げます。『なせば成る なさねば成らぬ』という努力はもちろん必要でしょう。

 しかし、努力だけではないと思います。と申しますのは、努力以外に、それを支える時代の流れ、周りの多くの人たちとのかかわり、協力、支援もあるでしょう。

 それ以外に忘れてはならないことは、目に見えない大きなはたらきをいただいていることです。私たちは、無量無数のご縁をいただいて生かされているのではないでしょうか。おかげさまです。」

とお答えしましたが、質問をされた方は、「わかりました」とおっしやつていました。

 あとで、老人ホームの職員の方にお聞きしましたら、この方は元軍人さんということでした。いろいろな体験や思いを持っておられるのだろうと思われました。

 念仏詩人と言われた榎本栄一さんに「同行二人」という詩があります。

シドロ モドロ
私があるいた足あと
よく見ると
この足あとのなかに
もう一つの 足あとがあった

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Last modified : 2014/12/10 3:22 by 第12組・澤田見(ホームページ部)