問い

真宗門徒は、「報恩講が大切だ」と言われますが、なぜ「報恩講」に参らなくてはならないのですか。

答え

 「報恩講」とは、宗祖親鸞聖人のみ教えに遇(あ)い、聖人の御恩を感じて生活する人びとが、年に一度その御恩に報(むく)いずにはおれない気持ち
を持って集う報謝の集いです。ですから親鸞聖人の御命日、十一月二十八日を中心にして本山をはじめ地方の別院や各寺院で勤められるのです。戦後は各家庭で
は勤めない人が多いようですが、現在でも熱心な地方やお家では住職さんを招き家庭報恩講が厳重に勤められています。

 真宗門徒にとっては、報恩講は一年間の総決算であると同時に、新しい年に向けての年度はじめという、いわば精神的な意味でのお正月に当(あた)るとさえ言われ、年中行事の中で一番大切な仏事として今日まで伝えられてきています。

 親鸞聖人の教えによって「生まれた意義と生きる喜び」を見出し、この人生が空しく過ぎない真の喜びを知らされ、日々の生活にほんとうの意味での張り合いを感じて生きる人びとにとって、勤めずにはおれない報謝の集いを持つことは当然のことでありましょう。

 言い換えれば、この人生に「報恩」の生活を見出し、報恩の生涯を尽くして生きる身となった人を真宗門徒と言うのであります。

 蓮如聖人は、年に一度の報恩講は言うまでもなく、毎月二十八日には門法の集いを開かれました。その御文(おふみ)に「二十八日は鸞聖人の御明日
(命日)として、必ず報恩謝徳の志をはこばざる人すくなし」と言われ、命日をあえて「明日」とされたのも、「いのちを明らかにする日」と受けとられたから
でありましょう。

 親鸞聖人の御命日を縁として、あらためて教えを聞かせていただき、今生きていることの尊さを明らかにする。このことが親鸞聖人のご本意に応(かな)うことであり、同時に私自身の本当の喜びでもあります。

 日ごろ忙しく駆けずり回っている私たちです。平常お寺にご無沙汰の人も、せめて年に一度の報恩講には親鸞聖人と真向いになって、「何のために生き
ているのか」自身の生き様を問いつつ、じっくりと聖人の教えに耳を傾け、悔いなき人生を見出して生きたいものです。そして、子や孫や友人たちにまで大切な
真実教(真宗)を伝えていこうではありませんか。

(本多惠/教化センター通信 No.64)

Pocket

Last modified : 2015/02/22 23:36 by 第0組・澤田見(ホームページ部)