問い

私の両親は、たいへんな努力家で、兄と私を育て、りっぱな家庭を築いてくれました。ところが、80歳を過ぎ二人とも痴呆状態になり、入退院をくり返しています。たった一人の兄が一昨年急死し、義姉と二人で世話をする毎日です。両親にはいつまでも生きていてほしいのですが、あまりにもかわいそうで、兄の墓前で「今度体調が悪くなったら、迎えに来てやってね」と手を合わせています。私って薄情者なのでしょうか。

(49歳・女性)

答え

 薄情な方だとは思いません。むしろ情の深い方だからこそ、という感じがいたします。「体調が悪くなったら迎えに来てやってね」と思われる思いは、日々痴呆状態で傍目(はため)には気の毒な状態で生きておられるご両親に対する思いやりの気持ちの現れであろうと思われます。

 しかし、この問題には心いたさねばならない大切なことが二つあります。一つは生命(いのち)の問題です。ご両親は痴呆状態とはいえ現に生きておられます。だいたい痴呆状態だとか、お迎えに来てもらった方が本人にとっても幸せであろうと決めつけているのは本人自身ではなく、周りにいる貴女をはじめ私たちなのです。生命そのものは私たちの思いをこえた事実なのです。

 二つには、これも私たちの思いの問題です。ご両親の努力でりっぱな家庭を築かれたが80歳になり入退院をくりかえし、姉妹二人で世話をしておられるとのことですが、大変なご苦労だとお察しします。しかし、失礼な言い方ですが、気持ちの奥に「早くあの世へ行ってくれたら……」という思いがひそんで居りはしませんでしょうか。これは貴女にかぎった問題ではありません。私も貴女の立場になればそのような思いがおこるに違いないと思います。

 人間だれしも本音は自己中心的な考えで生きています。自分にとって都合のよいものは喜んで受け入れ、都合の悪いものは排除したいと内心では思っているものです。

 「私って薄情者なのでしょうか」と自分自身に疑問をもたれたことは大切なことです。仏教では、「罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の凡夫(ぼんぶ)」と私たちのことをすでにして言いあててあります。その凡夫の私が現に生かされている事実をも同時に教えられているのです。自身の心の内を垣間見れば、実におぞましい限りです。どうかその痛みを大切にして生命の尊厳を説く仏法に耳を傾けようではありませんか。その意味では、ご両親は痴呆にまでなって大切なことを教えていてくださるのだとも、言えましょう。

(本多惠/教化センター通信 No148)

Pocket

Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)