頻繁に起こる大人の犯罪が、子どもたちの精神に悪い影響をおよぼさないか心配されます。家庭生活において、子どもをどのように導いていけばよいのでしょうか。
(46歳・女性)
おっしゃるように、世の大人の犯罪は見るに忍びないものが目に余るほど見聞きせられ、身の毛もよだつ思いがいたします。このような世の中に生まれ育ち、やがて世に出てゆくであろう子どもたちのことを思いますと、身ぶるいするほど困惑の思いをいだくのは、あながちあなただけではないでしょう。
しかし私自身の力で世の中を変えることもできませんし、世の中から離れることもできません。とすれば、いやおうなしにこの世の中を生きていく以外に道はないわけです。これは今に始まったことではありません。二千五百年前、お釈迦さまの時代にも、五濁(ごじょく)の世ということで教典に説かれてあります。
五濁とは、欲望にほんろうされて、いのちの尊厳性が見えなくなった状況を言うのです。現代はまさにそのような状況ではないでしょうか。
五濁の世にあって、お釈迦さまが目覚められたのは「天上天下唯我独尊(でんじょうてんげゆいがどくそん」という、いのちの尊厳性です。一切衆生(いっさいしゅじょう)、すなわち動物も植物も人間も、すべて生きとし生けるものは尊厳な、いのちを賜って生き合うているのだということです。そのことが明らかになれば、必然的に、尊厳ないのちを傷つけ合わなくては生きられない現実に対する悲痛感がともなわざるをえません。
現代社会に生きる私たちは、現代社会をうんぬんし、子どもの教育に思いをよせる以前に、私たち自身が、ほんとうにいのちを大切に思って生きているかを、かえりみる必要があるのではないでしょうか。
子どもは親の言うことは聞かないが、親のやっていることをやるといわれます。お互いに私たちも先輩の後ろ姿を見て生きてきたのではないでしょうか。良きにつけ悪しきにつけ、親の後ろ姿を子どもは見ているものです。私自身の生き方を真実なる教えに聞いていくことこそが大切なのではないでしょうか。
心底(しんてい)において子どもを信頼したいものです。
(本多惠/教化センター通信 No155)
Last modified : 2017/02/28 20:23 by 第0組・澤田見(ホームページ部)