
浄土について教えてください。
(55歳・女性)

浄土についての定義は、宗派によっていろいろありますが、親鸞聖人は徹底して阿弥陀の本願に報いた世界だということを言われます。阿弥陀の本願に報いた世界ということは、人間の願いに応じた世界ではないということです。人間の願いは、いかに純粋な願いだといいましても、突き詰めていけば欲望の延長です。自分にとって都合のよい世界を願っているにすぎない、と言っても過言ではないと思われます。
曽我量深先生は、実に身近な表現で大切なことを教えてくださっています。「言葉の通じない世界は地獄。言葉を必要とする世界が人間。極楽は言葉の不要な世界」とおっしゃいました。
私たちは言葉が必要であって、主に言葉によって気持ちを通じ合わせています。しかしほんとうに本音を通じ合うことができているでしょうか。「もの言えば唇さむし」とも言われているように、話し合えば話し合うほど空しくなり、孤独を感ずることが、あまりに多いようです。地獄は「同伴者なし」の世界だと教えられていますが、孤独感にさいなまれる現状はまさに地獄そのものです。
「独生、独死、独去、独来」としか受けとれないのが、迷いの世界といわれる娑婆の相(すがた)です。私たちの思いを超えて、いのちそのものの願いを阿弥陀の本願と言い、その本願に報いられた世界を浄土と教えられています。その意味で、親鸞聖人は浄土のことを真実報土(しんじつほうど)とおっしゃっています。
私たちの人生は、苦悩を縁として、浄土往生の道程として位置づけられているのだと教えてくださっているのが親鸞聖人であるわけです。
(本多惠/教化センター通信 No168)
Last modified : 2015/02/20 0:20 by 第0組・澤田見(ホームページ部)