問い

仏法のお話を聞いていますと、釈尊(しゃくそん)とか仏(仏陀)、如来という言葉が出てきますが、その違いがよくわかりません。

(65歳・男性)

答え

 仏教といえば、お釈迦さまが説かれた教えだということはだれでもよく知っています。そのお釈迦さまの呼び方にはいろいろあるわけです。ご質問の中にもあるように、釈尊とか釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)とか、釈迦如来(しゃかにょらい)とか言われています。

 お釈迦さまは、インドの釈迦族のカピラ城の城主、浄飯王(じょうぼんおう)を父とし、摩耶夫人(まやぶにん)を母として、その王子としてお生まれになり、姓名はゴータマ・シッダルタです。紀元前数世紀のことですから異説はありますが、29歳で出家され、35歳で悟りを開かれ、仏陀(覚者)と成られ、80歳で亡くなられるまで説法され、生涯多くの人びとに尊敬されて生涯をとじられました。

 釈尊とは、釈迦族の尊敬すべき人、尊者だということで、お釈迦さまのことを釈尊と申しあげるわけです。ですから釈尊といえばお釈迦さまのことで、お釈迦さま以外の人を釈尊ということはありません。

 しかし、仏とか仏陀とかいうのは固有名詞ではなくて、覚者、真実を悟った人という意味ですから、お釈迦さまを仏陀とは言いますが、仏陀という名称は、そのままお釈迦さまだというわけにはいきません。もし言うなら、釈迦仏とか、釈迦牟尼仏とか言わなければ、お釈迦さまを指すことにはなりません。

 如来というのも、仏陀とお釈迦さまの関係と同じように、お釈迦さまは如来であっても、如来とはお釈迦さまだけを示す名称ではありません。釈迦如来とか、釈迦牟尼如来とかいわれるのには深い意味があるのです。

 如来とは如より来生(らいしょう)するという意味で、如すなわち真如・真実なる世界からこの世に来たという意味です。お釈迦さまは真実の道理に目覚め、真実の道理を説いてくださった方です。

 この世にあって妄念妄想に迷い苦悩している者に、真実の道理を知らしめんために真実の世界から来てくださったと、まさに尊者として仰ぎ、如来として崇める、その心情において釈迦如来と申し上げるわけです。

(本多惠/教化センター通信 No175)

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Last modified : 2015/02/11 23:19 by 第0組・澤田見(ホームページ部)