3歳になる息子を隣家に預け外出したのですが、散歩に連れ出した老主人の不注意から子供が車に引かれ、全治6カ月の大ケガをしたのです。医師には脳障害などの後遺症が出るかもしれないと言われました。今は預けたことに対する後悔の念よりも、足元もおぼつかない老人が幼児を連れ出す非常識さにやり切れなさを感じ、裁判に訴えようと考えています。しかし母は近所の手前もありそんなことはできないといいます。どうずれば私の心を落ち着けることができるのでしょうか。
(冨田林市・主婦31歳)
なんという痛ましいことでしょう。つい涙を落としました。わたしにも今、4歳児の男の孫がいます。可愛さ一ぱいの悪戯ざかりです。我が身につまされました。なんともやり切れぬ思いで、裁判に訴えようと考えられている由。わたしなら、もっと悪辣(あくらつ)な方法で報復をはかるかも知れません。
外孫はいるけれど内孫がいないその老人にとって、お子さんは孫のように可愛かったのでしょう。いつも遊んでくれるし、気さくに預かってもくれる。どうしても外せない用事で、つい今回も頼まれたのでしょう。その老人も外は危ないからと、家の中で遊んでいたのですが、幼児は外が好きです。老人の手を引っ張って外に出る。出たのはよいが、もう幼児の行動にはついていけません。注意はするのですが、幼児の耳には入りません。老人の手を振り払って、飛び出していく。そして大事故にあったものと思います。
お子さんも「おじいちゃん、大好き」と言って、老人になつく。もっとつれなくしていたら、こんな結果をうむこともなかったのに。老人は老人で、どれ程か後悔していることでしょう。詫びの言葉ぐらいで済むものではありません。家族のものからは、口汚なく叱責される。全く居場所がないくらいでしょう。思えば憐れなものです。恐らく憂苦のため病になるか、死期を早めることになるかもしれません。
どうしたらよいか。聞かれても答えようがありません。早く心を落ち着かせたいと言われるのですが、心などというものは当てになりません。落ち着いたと思っても、また波立ってくるものです。
裁判にかけて何とかなるなら、そうなさったらよいでしょう。しかし、あなたの思っているような結果なるとは思われません。
何れにしても、可愛かった時のお子さんも、脳障害の後遺症に悩むお子さんであっても、我が子であることに変わりはないのです。「かんにんしてね」と詫びながら、回復を願って育ててあげて下さい。
仏の教えを聞いているわたしに言えることは、「後ろをふりむくな」「なった今を、どう受けとっていくか」ということだけです。過去ばかり振り返りてみても、それは愚痴になって、なに一つ、そこから生まれてきません。こうなってしまった今を、どのようにわたしの生き方の上で、受けとめていくか、それしかありません。
しかし、それには時間がかかります。人間の言葉ばかり聞いていたら、心惑わされる日々になります。仏の教えの言葉に、耳を傾ける生き方に転ぜられたら、はじめて心が開かれてくるのではないでしょうか。
(松井慧光・「南御堂」もしもし相談室より)
Last modified : 2014/12/09 6:17 by 第12組・澤田見(ホームページ部)